こんにちは
愛知県は『緊急事態宣言』適用中です。
〜9/30(木)迄
引き続き感染対策をしっかりして行きましょう。
愛知県内の感染状況次第で
お休み日に変更があります。
下方のお休みのお知らせ、
又はお休みカレンダー
(トップページ一番上まで戻してタップを押して下へ スクロール)で随時ご確認ください。
お昼のランチは 御来店がお決まりのお客様は御予約をお願い致します。
人数制限を強化しておりますので席が空いていても入店をお断りする場合がございます。
座席は御予約のお客様を優先いたします。
※尚、新型コロナウイルス感染状況に伴い集客の見込みの無い状況下においては早めに閉店する日時もあります。
ご来店がお決まりの日時がございましたら御予約のほう宜しくお願い致します。
《暫くの間、営業時間は》
ランチ
平日、土曜、日曜日 11:30~15:00迄
※終了時刻はその日の状況により前後します。
☆夜のディナーは全日要予約と致します。☆
〜9/30(木)迄の「緊急事態宣言」適用期間中は
17:00~19:30迄
※アルコールの提供は全日提供禁止です。
コロナウイルス感染対策の観点から引き続き当面の間3蜜を防ぐために、
人数制限と時間短縮営業 を併用しながら営業して行きます。
当店は私の側(厨房)お客様側(窓)と両側から換気を行えますので風通しも大変良いです。
アクリル板で遮断する他店よりも換気は非常に良いと思います。
アルコールは入口ドア開けてすぐ右側に手をかざすだけの自動アルコールスプレーと押すタイプの両方が置いてあります。
各自アルコール消毒をお願い致します。
尚、感染者増による状況の変化により営業時間等、変更する場合がございます。
(事前のご予約には対応いたします。)
メニューは多少限定したメニューとなります。 (食材管理、維持の面から)
☆夜のディナーにつきましては事前に要予約⭐︎
愛知県緊急事態宣言期間中は17:00~19:30迄
お休み日以外の日時で受付ております。
アルコールの提供は終日禁止です。
同時間帯1組 1グループ4名様迄 (☆例外として5人家族、6人家族はOK☆)
※コロナウイルス収束迄の間は人数制限あり。徐々に緩和。
御予約、ご要望等はお電話で承ります。ホームページメールフォームからメールでも結構です。
※(お休み日は電話に出られない時間帯がございます。
必要事項ご記入の上、ホームページメールフォームからメールでお願い致します。)※スマートフォンのお客様はトップページのいちばん最初のところまで戻してから
左上のメニュータブをクリックして下さい。
営業日カレンダー、各種メニュー、御予約メール、Instagram等はタブから出てきます。
『ジョージア(グルジア)コース』新設しました。
※詳しくはメニュータブからコースメニューをクリックしてください。
また、少しずつですがアラカルトのジョージア(グルジア)料理も改良していきます。
家族でのお食事、仲間内でのパーティー、送別会等には
アラカルトメニューにあります 『タバカ』や『米燻嫩鶏』をメニューに取り入れたお任せコースも良いかと思います。
また単品アラカルトとして、条件付きでお持ち帰りも可です。
(例として大皿持参、お車でお越しの事前に御予約を頂きましたお客様)
お昼のランチは
9/11~
『秋〜冬のボルシチ』ランチです。
寒い日にはボルシチで温まりましょう。
ボルシチランチ2021秋〜2022春(ドラッグされました)
ボルシチランチ2021秋〜2022春(ドラッグされました) 2
ボルシチランチ2021秋〜2022春(ドラッグされました) 3
ユーラシア食堂さらび では夕方以降の会食承っております。
旧東海道のひっそりとしたプライベートな空間で
美味しい中国料理、ロシア料理、中央アジアの料理をお楽しみ下さい。
小さな食堂ですが造り手と接することのできるお店です。お一人様から20名様位迄で対応しております。
当店は特殊な場所に位置しておりますので集客の見込みの無い日には早めに閉める事があります。また、小さなお店ですのでせっかくお越し頂いてもご予約のお客様でいっぱいで入店出来ない場合もございます。
ご予約の程よろしくお願い致します。
料理内容等はアラカルトから選んで頂いても結構です。
☆お勧めは お客様のご要望と御予算をお聞きした上で内容を決める
『おまかせコース』プランです。
普段お出ししていない料理は こちらの『おまかせコース』プランからです。
ご要望等お気軽にご相談ください。
ご友人 ご家族でのお食事、ご宴会等、ランチ時間での婦人会等、お待ちしております。
ワイン造り8000年の歴史を持つワイン発祥の地ジョージア(グルジア)
8000年前からの造り方《タンクや樽ではなく、“クヴェヴリ(甕)”》
で造られた自然派の造り手たち、
伝統製法継承者たちの
『ジョージア(グルジア)ナチュラルワイン』
も入荷しています。
【クヴェヴリ は世界文化遺産です】
※新入荷の自然派ジョージアワインがリストに加わりました。
(リストの変更、更新を行いました。)ドリンクメニューからご確認ください。
ジョージア(グルジア)自然派の造り手によるクヴェヴリ醸造ナチュラルワインを
メインに取り揃えておりますが、
昨年から 一部、ジョージアワインメーカー(自然派ではない)工場生産ワインも
白と赤1〜2種ご用意しております。
私のお勧めは“自然派”ですが、
昨年から 一部、ジョージアワインメーカー(自然派ではない工場生産ワイン)も
白と赤1〜2種ご用意しております。
私のお勧めは“自然派”ですが、
よく知られた地区の名を冠するメーカー生産ワインも少しだけ用意しようと思いました。
白、ツィナンダリ
赤、キンズマラウリ
どちらも飲み易く工場生産ワインですからお手頃価格です。
東京のロシア料理店より断然お値打ちです。
また、この春から『南ロシア 黒海沿岸のワイン』も入荷。
旧ソ連圏ではジョージア(グルジア)を筆頭にすぐ隣のアルメニア、黒海沿岸のウクライナ、南ロシアも古くからのワインの産地です。
詳しくはドリンクメニューでご確認ください。
※一番上まで戻してから左側のタブからドリンクメニューをクリック
お客様のご予算、料理の希望内容等、柔軟に対応させて頂きます。
前日、当日のご予約でご利用いただけるコースもございます。
ご依頼、ご相談は店主までお気軽にどうぞ。
詳しくはコースメニューでご確認ください。
2021秋〜ディナーのご案内(ドラッグされました)《満蒙開拓平和記念館》
特別展『満州事変』記念館初の展示とオンライン講座のハイブリッド企画!
https://www.manmoukinenkan.com/20210719/
「1931年9月18日 奉天郊外 南満州鉄道爆破」
国際連盟総会開会中に飛び込んできた極東満州での軍事衝突。
直後に連盟に提訴した中国。
不拡大方針を決定した日本政府。
しかし、関東軍が仕掛けた謀略に引きずられるように、
日本は戦争への道を突き進み、世界を巻き込んでいきます。
「満州国」建国につながる
満州事変勃発から今年で90年。あの前後にいったい何があったのかを改めて見直し、日本が満州へ、戦争へ向かっていく道筋をたどります。展示では日清戦争から満州事変前後の東アジアの情勢を年表でたどり、
オンライン連続講座では青木隆幸氏による歴史講義を毎週1講座ずつ映像配信していきます。オンライン連続講座はYouTubeで配信予定、無料でどなたでもご覧いただけます。
◆会期 2021年8月1日(日)~9月30日(木)
《ボスニア映画 『アイダよ、何処へ?』(QUO VADIS AIDA?)》
「サラエボの花」のヤスミラ・ジュバニッチ監督、
ボスニア紛争の傷跡を描き続ける彼女の最高傑作。
名古屋は9/17(金)〜 名演小劇場
ミャンマー(ビルマ)の人々
強固な団結心、
連邦意識、
自分を犠牲にしても勝ち取る権利、
強い意思、
逞しい人々、尊敬と敬意の念をこめて
☆トピック☆
《ビルマ(ミャンマー)情勢》
第76回国連総会期間中のミャンマー国連大使承認問題は11月まで先送りとなったが、
結果がどうあれ、遅かれ早かれビルマの人々の”純粋さ”が利害関係国の常識を打ち砕くだろう。
◎数日ごとに更新されます。2/1日軍事クーデター以降ミャンマー(ビルマ)では
軍事政権による市民への弾圧が今も続き、より激しさを増した。
多くの市民達が亡くなった。今も。
クーデターから7ヶ月以上が過ぎたが国際社会は何の解決策有効策も未だ無い。
ASEANはこれだけの時間が過ぎたが何も出来なかった。
その間に市民の多くが暴行、拷問、撲殺、射殺、集団虐殺、村ごと焼かれた、略奪、空爆、重砲撃、
敵国ではない自国市民にこんな行為ができるのは世界中探しても”ミャンマー軍事フンタ”だけだろう。市民を守るために立ち上がった若者達が組織化され、
☆People Defence Force 人民(国民)防衛隊《PDF》となった。
軍事フンタとその支援組織を除けば、ラカインの西部北部、シャンの国境周辺諸勢力、ワ人支配地域、を除けばミャンマーのほぼ全てがPDFを支援している。
在外ミャンマー人は軍事フンタに任命されて大使館にいる者以外、全てPDFを支援している。
このPDFと共に戦うカチン、カヤー、カレン、の民族軍 、市民のレジスタンス、そして軍事フンタを離脱してCDM側に付いて戦う元国軍兵士及び将校。
何処かの段階で皆がミャンマー(ビルマ)連邦軍となるであろう。
彼ら(彼女)達こそ真にアウンサン将軍(ビルマ独立の父、ドー・アウンサンスーチーのお父さん、国軍の父)の意志を継ぐ正統な連邦の軍隊、連邦市民を守る軍隊、パンロン会議の場所で宣言をすると良い。(調べてみてください。分かると現在のことも少し理解できます。)(要するに私が言いたいのは日本で言う幕末維新の錦の御旗!)
”我らが軍!” となる。
諸外国は現在進行形のビルマでの情勢が・・
クーデターをきっかけに立ち上がった市民に対する軍の暴力、
そのことと1962年以降のネウィン、8888民主化運動の時、1988年秋〜ソーマウン1989以降のタンシェ軍事政権での長い抑圧と暴力の時代の経験、その間に起きたさまざまな抗議運動、
2007年の僧侶が立ち上がった時、その時の弾圧暴力、
2011以降の民主化による自らの考え意志を表すことを自覚したこの時代に成長した若者達、
そして今、
独立ビルマ70数年の歴史の全てが今、この瞬間もビルマの人々を突き動かしている真の市民による革命であることに
現代の欧米人の多くはなかなか気がつかない。
正直、9/7のNUGによるD-day宣言に対するイギリス政府の反応には失望した。
フランス革命、独立戦争、南北戦争、他、あの頃の”純粋さ” を現代の欧米人の多くは忘れてしまっている。
民主主義の価値 と云う割には・・・
利害関係にとらわれ、 現代欧米人の多くに足らないもの・・”純粋さ”
ビルマの人々にはこれを感じ取る。だから私は純粋に好きなのだ。ここまで写真は店主 9/12日
☆9/14〜の国連総会では正当なミャンマーの国連代表であるKyaw MoeTunチョーモートゥン氏が再度認められなければならなかったが、9/14(日本時間9/15)資格委員会は11月まで延期された。
しかし、軍事フンタの打ち立てた代表が国連総会で演説することは認めなかった。
NUG国民統一政府の承認問題も先送りとなっている。
下方に関連記事と追記
私はビルマ(ミャンマー)市民の
民政を取り戻すための抗議活動を支持、
国民統一政府NUG(National Unity Government of Myanmar)
連邦議会代表委員会CRPHを支持します。
Daw AungSanSuuKyi及び拘束中の全ての議員、市民の即時釈放と民政の回復を求む。写真は名古屋 CDM support team Nagoya 9/12日
『彼らは頭を撃ち抜く だが革命は心の中にあることを知らない』
抵抗のミャンマーの詩人ケトティ氏の死
https://www.rfa.org/english/news/myanmar/poet-05112021185408.html
写真は5/2日 店主撮影
AAPPビルマ政治囚支援協会(ビルマ)は、タイのメーソートに本拠を置く非営利の人権団体です。AAPPは、タイとビルマの国境に亡命している元政治犯によって2000年に設立されました。AAPPは、残りの政治犯の釈放と釈放後の政治犯の生活の改善を支持し、ロビー活動を行っています。
9月20日の時点で、(1114)人がこの軍事政権のクーデターによって殺害されたことが確認されています。
9月20日の時点で、合計(6637)人が現在拘留されています。(280)人々は直接刑を宣告され、そのうち26人は死刑を宣告された(2人の子供を含む)。1984回の逮捕状。118人が欠席判決を受け、そのうち39人が欠席裁判で死刑判決を受けました。合計65人が死刑を宣告されました。また、最近釈放された被拘禁者の検証も続けています。
9月18日の夕方、チン州のHtantalang Townで、Thantlang Centenary BaptistChurchのCungBiak Hmun牧師が、軍事フンタの砲弾による火を消そうとして射殺されました。これに加えて、テロリストの軍事フンタ軍は、クンビアクフムン牧師の腕時計と電話を取り、彼の指を切り落とし、彼の結婚指輪を取りました。(下方サントランの箇所参照)
Soe Min Oo、別名Paw Kyaungは、テロリストの軍事フンタ軍が9月18日にサガイン地域のKalayTownshipでSipinGyi / Let Pan Khone Villageを襲撃したとき、軍事フンタの情報提供者が殺害されたため、彼の寺院で射殺された。これに加えて、名前がまだ確認されている男性が、村に車を運転している間に射殺されました。
9月17日午後9時頃、マグウェ地方のミオシット郡区のミョルリン村に住む小学校の教師であるアウンタンザウと15歳の少年が、ミャンマー軍を守っていた軍事フンタの兵士に止められ、殴打され、尋問されました。 -村の頂上にあるガソリンスタンドに行く間、その村には軍事フンタのテレコムタワーがありました。
その後、Aung Than Zawが首を近距離で撃たれ、重傷を負った。
Aung Than Zawはミオシット病院に送られ、9月18日の朝にネピドーの1000床の病院に移送されている間に亡くなりました。
9月16日に逮捕されたバゴー地方のレトパダンタウンシップに住むテインソエアウンは、拷問のために9月17日に死亡し、彼の体に打撲傷が見つかった。
バゴン地域のモンヨタウンシップでは、軍事フンタに任命された村の管理者の家が撃たれ、彼の個人秘書が殺され、軍事フンタの管理者の息子が負傷した。
この事件で、テイン・ソー・アウンと彼の妻を含む約30人の地元住民が逮捕されました。
※これはAAPPによって検証された数であり、
実際の死亡者数はおそらくはるかに多いでしょう。
※(PDF(人民防衛隊)側、武装勢力側、軍事フンタ側の戦闘での死傷者は検証出来ないので当然これには含まれない。
また、軍事フンタに虐殺され地中に埋められた人々も検証出来ないためにこの数字には含まれない。
3月以降のカチン州、チン州では軍事フンタ側にも相当の死傷者が出ている。
また最近発表されたNUGによる7月の集計に基づいた報道によると
7月の民族軍&民間抵抗戦闘員との355回の銃撃戦で、740人以上の軍事フンタ兵士が殺害され、370人近くが負傷した。
NUG発表は、月の間に戦闘で約200人の民間人が殺され、47人が負傷したと述べた。軍事政権はサガイン管区で最大の損失を被り、民間の抵抗勢力との36回の銃撃戦、民族軍による3回の銃撃戦、および36回の軍の暗殺があった。
軍事フンタ軍は、この地域で虐殺を含む23の暴力行為を行った。
7月だけでサガイン管区では417人の軍事フンタ兵士が殺害され、270人が負傷し、128人の民間人が殺害され、6人が負傷したと推定されている。
この地域のカニタウンシップでは、民間人の抵抗に対抗する軍事作戦中に、子供を含む約40人の民間人が一連の軍事フンタ虐殺で殺害された。
国民統一政府(NUG)による8月の集計に基づいた報道によると、8月の443の銃撃戦と民族武装集団および民間抵抗戦闘員による暗殺の間に、約580人の軍事フンタ兵士が殺害され、約190人が負傷した。
https://www.irrawaddy.com/news/burma/myanmar-shadow-govt-claims-580-junta-troops-killed-last-month.html
各戦闘事例を集計してみるとざっと死亡者2700人以上は軍事フンタ側で出ていると見るべき。
また、PDF(人民防衛隊(国民防衛隊))側、レジスタンスファイターも最近の巧妙な軍事フンタによる掃討作戦により罠にはまり捕らえられ連行され撲殺された方、射殺された方等は検証できないためこのAAPP死亡者数字には含まれません。未検証のため、身元不明のため、カウントされない(できない)方々が十数倍の数で存在。
私の推測ですが、死亡者数の実際はプラス12000~20000人の間と見るべき。
(8888民主化運動の時を既に大幅に上回っている。)
さらに避難民の死者を含めればさらに多い数字になると思われます。
今後も随時追加していきます。
無人になったチン州サントランの町。約1万人のサントラン住民は避難民となった。9/19(日)のサントランの写真 写真:チンワールド(Hakha Times)、21日。
☆サガイン管区、マグウェ管区の多くの村々は9月に入り、
軍事フンタ政権SACテロリスト軍
による、《人道犯罪です!!!
集団虐殺、村ごと焼き払う、
逮捕 拉致の後、拷問のち射殺、
遺体の切断、地中埋め、
生きたまま逮捕者の丸焼き》9/14日以降この地域の多く(軍事フンタから攻撃を受けた、フンタが攻撃を準備している)
はインターネット回線、電話が遮断されているため、現在最も心配な地域。
情報が極度に減った。ミャンマー軍事フンタ政権SACテロリスト軍&ピューソーヒティー(フンタの組織する自警民兵)
は
ナチスの戦争犯罪、クメールルージュ(ポルポト)による大虐殺
と同罪だ。ミャンマー市民は家族、仲間を守るために武器を手に取っている。
○すぐ北東に位置するあの大国はKIAへの武器供与を大幅に強化するべき。
自国のミャンマーにおける権益維持、及び早期の安定化を望むのであれば
ミャンマー市民の手助けをした方が望ましい結果に近づくであろう。
後に大きく宣伝しても市民から批判は出まい。
○ミッチーナを訪れたミンアウンフラインは内心ショックだったのではなかろうか。
この戦いは長い。
○人々はこれまで長い長い軍政のビルマの出来事を、今のフンタの人道犯罪を胸に刻んでいる。
”自己犠牲の精神”
が今のビルマ(ミャンマー)市民の人々に見ることができる。
○米国はタイの軍事政権に対し、国境付近への偏ったミャンマー人逮捕が出ないように
あらゆる分野を監視し、付近の風通しを良くしておくことが良いのではと思う。
タイの軍政に対して場合によっては対抗策。人道支援も含めて。風通しが寛容。
○インドはチン州避難民の保護と人道支援の拡充。
そう、ミゾラム、マニプール、から人道支援の拡充。
後々のために良い。
インドも陸路の対ミャンマー経済発展にはまたと無い機会。
9/21日イラワジ紙
[ヨー村の地元の人々は、ミャンマー軍事フンタによる虐殺について説明します]
https://www.irrawaddy.com/news/burma/locals-describe-myanmar-military-massacre-of-yaw-villagers.html
かつては平和と静けさの天国だったヨー地域は、今ではミャンマーの軍事政権と戦う民間のレジスタンス運動家がいる戦争地帯になっています。
マグウェ管区のガンゴー、ヘーリン、ソー、キュクトゥの町で構成され、チンドウィン川の西岸にあるポンタウン-ポンニャ山脈とチン丘陵の間に位置するヨーの地元の人々は、持っているどんな武器でもフンタ軍事支配に抵抗しています。ヨーのほとんどの村は、2月1日のクーデターでミャンマー軍によって政府が追放された国民民主連盟NLDを支持しています。
しかし、この地域には、軍事フンタ支援の連邦団結発展党USDPの拠点もあり、軍事フンタによって訓練され武装した民兵であるピューソーヒティーが活動しています。ヨーの民間抵抗戦闘員は、軍事フンタ軍と戦うための伝統的な狩猟用ライフル(チン州のCDFと同じように)しか持っておらず、
軍事フンタ軍はそれらを大幅に上回っています。その結果、軍事フンタの襲撃で破壊された民間人の死亡、避難民、家屋の数が増加しています。9月9日に人口3,800人のヨーの大きな村であるミンタールで起こったことの記憶は、一生村人を悩ませます。それは軍事政権に抵抗する人々にとって悲劇的で苦痛な光景でした。
9月9日の朝、地元の人々が、Myinthar川の対岸にあるMyinTharの西にあるTharLin Villageの近くで軍隊がトーチをしていると聞いた後、MyinTharは混乱に陥りました。
その後、軍隊とスポーツショーツを着た武装した男たちがタールリン村とミンタール村を結ぶ橋を渡った。
午前10時に、民間のレジスタンス運動家と軍事フンタ政権軍の間で銃撃戦が勃発した。
軍事フンタ軍が重火器を使用した後、抵抗戦闘員は撤退を余儀なくされた。9月9日、10代の少年と高齢者を含む合計18人がミンタールで死亡し、約20戸の家屋が軍事フンタ軍によって全焼した。
「私たちは、私たちの村が襲撃され、放火されるのではないかと恐れて、防衛グループを結成しました。彼らが私たちに発砲した後、私たちは伝統的な狩猟用ライフルで約45分間防御しました。私たちは動揺している」とある村人は言った。軍事フンタ政権のスポークスマン、ゾー・ミン・トゥン少将は、地元の人民防衛軍(PDF)が活動しているという情報に応えて、軍事フンタ軍がミンタールに行ったと述べた。
軍事フンタのスポークスパーソンは、政権軍が村の近くで約50人の男性に攻撃されたと主張した。
1人の兵士が死亡し、軍は23丁のライフルと8丁の自家製グレネードランチャーを押収したとゾーミントゥン少佐は付け加えた。
しかし、彼は18人の村人の死については言及しなかった。地元の人々は、軍事フンタ軍と一緒に戦った民間人の服を着た武装した男たちがピューソーヒティーのメンバーであると言った。
軍事フンタ軍が村に入った後、何人かの村人が殺された。
そして9月9日以来、村は沈黙と悲しみに包まれ、住民は別の攻撃を恐れて暮らしています。死体の山が見つかりました。それらのほとんどすべてが頭を撃たれており、犠牲者の多くはすでに負傷しており、処刑されたことを示唆している。
「彼らのほとんどは頭を撃たれました。彼らの頭は折れ、脳は木から落ちた熟したパパイヤのようにこぼれました」とある居住者は言いました。
U Tun Ngweさん(86歳)は、拘束されて殴打されて死亡した兆候が見られ、死亡しているのが発見されました。かろうじて歩くことができなかった50歳の麻痺した男性が彼の家の椅子で射殺されました。軍事フンタ軍が遭遇したすべての男性が射殺されたようです。
何人かの村人は森や村の修道院に逃げました。約20人の軍事フンタ兵士と武装した男たちが修道院にやって来て、彼らが出てこない場合、隠れている人々を撃つと脅しました。
高齢者、女性、母親、子供を含む住民は、1時間以上ひざまずき、尋問を受けた。
伝えられるところによると
「あなたの子供と兄弟は、戦闘で殺された人々の中にいたに違いありません。
橋へ行って彼らの遺体を集めてください。
少なくとも遺体が10あります。
私たちが去った後、彼らの遺体を集めに行きなさい」
軍事フンタの兵士たちは村人たちに話しました。目撃者によると、フンタ軍は家を燃やし、略奪した。
翌朝、彼らは去る前にさらに多くの家を燃やした。
その後、住民は自宅に戻り、遺体を集めました。
最年少の犠牲者はかろうじて16歳でした。「犠牲者の何人かは彼らの家族の中で唯一の息子であり、彼らの両親は崩壊しました。
その日以来、村の誰もが老若男女を問わず涙を流しています」と住民は語った。フンタ軍はまた、ガンゴータウンシップの約15の村を襲撃し、20人以上の地元住民を殺害し、数千人の村人を追放した。
彼らはガンゴーのHnanKha村を4回襲撃し、約50戸の家屋を破壊した。軍事フンタの攻撃に応えて、ガンゴーPDFとチン防衛軍-ハカの合同部隊は、ガンゴー-ケイルロードの軍隊を地雷で待ち伏せしました。
政権軍から身を守るために使用した初歩的なライフルと一緒に、ミンタール村からの若い犠牲者の写真を見たとき、ヨーのいたるところの人々は非常に動揺していました。
AAPP 9/14(火)マグウェ管区Myaing TownshipにあるAye Chan Thar Sanpya村の件の補足、
数千人の軍事フンタテロリスト軍はこの地域に9/13(月)に来襲しました。
途中、PDFと幾つかの地点で衝突、圧倒的な兵力、装備の差もあるため、待ち伏せしては引き、待ち伏せしては引く方法しかありません。
今週この地域を徹底的に掃討した模様です。
村の人々は家から逃げています。
一部の民家は焼かれました。
9月14日午前、軍事フンタがマグウェ地域のMyaingにあるAye Chan Thar Sanpya村を襲撃したとき、13歳のNay HtetOoとTunMyintという名前の別の子供が他の地元の村人と一緒に恐怖で逃げた後、射殺されました。
さらに、地元の村人、ミン・ミン、別名テット・ナイン・ミンが彼の足を撃たれ、逮捕され、そして発砲されて殺された。
地元ローカルメディアKhit ThitによるとKoMinMinさんは撃たれて負傷した後、生きたまま焼かれたと報告があります。
生きたまま焼かれ亡くなられたKoMinMinさん。こうした報告できた事例はほんの僅かです。
世界は知るべきで市民を助けるべきです。
《メディア媒体について》
○国営新聞MyanmarAline (軍政プロパガンダ)(国内向け)
○国営英字新聞Global New Light of Myanmar(軍政プロパガンダ)(国外向け)
(逮捕された市民の氏名確認等に使う)
○MNAミャンマーニュースエージェンシー 国営通信者
○MRTVミャンマーラジオTV(軍政プロパガンダ)
○MWD TV MyawaddyTV 国営放送 (軍政プロパガンダ)
これら軍政プロパガンダはクーデター以降、現在、YouTube、FB、Twitter等から追放されました。独立系媒体は軍事政権によって許可停止であるため、
地下に潜って活動中。(以前からタイ、インドに拠点がある。)ミャンマーの真実を伝えるために必死で頑張っている!
運営資金はほぼ国内外市民からの寄付である。
◎Myanmar-Now(独自の情報網があり必!) 英、ビルマ語
◎Mizzima MizzimaTV(独自の情報網があり必!)英、ビルマ語
その他・・・
◎DVB Dvb Burmese ビルマの声(一部ノルウェー政府資金支援 元々は同国へ避難民の方々が創設)ビルマ語、英語版もある。
◎The Irrawaddy イラワジ紙(日本の朝日新聞と毎日新聞に相当する。外交にも強い。外交官寄稿文にもよく引用される。)英、ビルマ語
◎RFA Burmeseラジオフリーアジア ビルマ(アメリカ合衆国が資金援助)ビルマ語、一部英語
◎VOA Burmeseボイスオブアメリカ ビルマ(アメリカ合衆国が資金援助)ビルマ語※BBC Burmeseを記載しなかったのは独自の情報網が上記に比べ少し弱いところがある。(植民地時代の影響)それ以外はさすが。
☆2月のクーデター後、難民認定された在日ミャンマー人の方は何人でしょうか?
一人だけです。ニュースで流れたミャンマー代表選手
空港出国ゲートで保護を求めて
認定を受けJ3サッカー選手になったピャエリァンアウンさんだけです。日本の出入国在留管理庁、法務省はミャンマー本国の現在の状況に応じた対応、
(彼らが不法就労(非正規の方)扱いになり、仕事も出来ない、精神が参って自殺に追い込まれるケースもあるようです。)
難民条約に則った対応を求む。
(難民条約日本問題点等で調べてみてください。)
速やかに3100人を超えるミャンマー人申請者に対し
難民認定しなさい。「緊急避難措置」は2年延長にしなさい。
ダウングレード(6ヶ月 週28時間の就労許可)をやめなさい。
(こんなグレード作っていること自体が問題!)
就労制限なしにしなさい。欧米と違って日本の対応は問題です。
法務省幹部エリート官僚の中に外国人に対する差別意識(無意識か故意かはここでは問わない)
が見受けられる。
名古屋入管で収容中に死亡したスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんの件、
技能実習生 制度の問題、
一向に改善の気配なし。
全部繋がっているね。
2021年5月28日、ミャンマーの危機的な情勢を受け、
出入国在留管理庁は在留を希望する在日ミャンマーの方々に対して
6ヶ月の在留、就労を認める「緊急避難措置」の実施を発表しました。
それから115日以上が経過した現在、
現状にほとんど変化なし!!!
という実態が見えてきました。
#ミャンマー国軍の資金源を断て
【経済産業省に要請提出】イェタグン・ガス田開発プロジェクトから
ミャンマー国軍に資金が流れないよう早急な措置を求めます特定非営利活動法人メコン・ウォッチ
国際環境NGO FoE Japan 9/15日
https://foejapan.org/aid/doc/210915_myanmar.html
9/17MyanmarNow
一部追記
サガイン管区Chaung-U、ヘリコプター攻撃で5人のPDFが死亡
https://www.myanmar-now.org/mm/news/8447
Chaung-U PDF によると、9/16(木)グループの5人のメンバーが殺害され、
軍事評議会がヘリコプターを使用したサガイン管区のチャウンウ町の西約2マイルにあるメイキョウ村での衝突で
1人が逮捕されました。 Chaung-Uタウンシップのリーダーからミャンマーナウへ。「昨日、村人たちは暴動(軍所有のMytel通信塔)から家に帰る途中で身を守った。
彼らはヘリコプター(Mi-17)で飛ばされた。ハッカー(ヘリから降りてきたフンタ兵士)を殴りながら誰かが倒れた(撃たれた)。
「それは狙撃兵のように見える」と彼は言った。9月15日、Chaung-Uの西5マイル以上にあるKalarGyi村の近くにある軍所有のMytel通信塔(この数日、全国各地にある軍事フンタのMytel通信塔は幾つかが破壊、爆破された。)。
午後9時頃の爆破の後、軍事評議会の軍隊がこの地域の村々を襲撃していました。
一部の目撃者によると、
地元の防衛軍がゲリラ戦術で対応したため、人口約300人のメイキョウ村の近くで1時間の戦闘中に
軍事フンタは地雷に襲われた後、軍事フンタ軍が地元防衛軍を取り締まったと述べた。「遺体は切断され、置き去りにされた」と彼は言った。
9/17(金)子供たちは両親に拾われて埋葬されました。
すべてが消されてします。
「最高の写真を見たいので、オンラインで広まる写真を探しています」と、セキュリティ上の理由から名前を付けたくない村人は言いました。軍事フンタ兵士から漏れたと思われる10秒間のビデオがFacebookで流布し、泥だらけの死体の横に5つの銃を肩に持った若い男がひざまずき、「ChaungOoPDF」(We’re ChaungU PDF)と叫ぶことを余儀なくされた。(捕らわれたのち、軍事フンタによって撮影されFB上に流された)
それを拾った映像、シンセンティブな映像を許可して音声ONクリックしてください軍によって残酷に殺害されたとされる5人の青年と1人の被拘禁者の家族は連絡を受けておらず、負傷者とその余波の詳細は不明である。
一部の地元住民は、2日前のチャウンウタウンシップでの衝突で8人のビルマ兵士が殺害されたと述べたが、これを個別に確認することはできなかった。Chaung-U Township Information Officeは、9/17(金)、衝突中に軍が農民のオートバイを強制的に持ち去ったと報告した。
約50年前のビルマ共産党(CPB)の時代からビルマ共産党の過半数が住んでいたサガイン管区の反軍事フンタ活動は2021年2月1日のクーデターによって復活しました。
カレーミョは、 平和的な抗議を激しく抑圧した軍事フンタに対して
4月に若者市民が武装したサガイン管区の最初の町でした。サガイン管区での暴力的な弾圧は、村全体を焼き払うなどの暴力的な方法を使用して行われています。
https://www.myanmar-now.org/sites/myanmar-now.org/files/media/kheaanguiittng_cckeaangciik_rhttyaanysunttiukkhiuksphng_pdf_5_uiisechun.mp4
☆この若い方の云われることすごく良く分かる。
助け合う心、連帯意識!
https://www.facebook.com/100010928222646/videos/1253793591748752/?d=n
ミャンマーの方達の軍政フンタに対する抗議活動に足を運んでみると一般的な日本の人は驚くと思う。
と言うより、まずそのような気にならないでしょう。
現代の今の多くの日本人が無くしてしまったもの・・・
☆国連ミャンマー代表大使承認問題
ミャンマーの人々は、9/14火曜日(日本時間13日)のUNGAと資格委員会の会合に先立ち、9/12日ニューヨークで集会を開き、(世界の幾つかの都市で11日〜12日にかけて(日本は東京、他各地は12日))
国連のミャンマー大使であるU Kyaw MoeTunを支援しました。https://www.irrawaddy.com/news/burma/myanmars-un-ambassador-to-stay-on-un-sources.html
9/14イラワジ紙
9/13日 Foreign Policy reported.
米国と中国は、ミャンマーの軍事支配者が来週の国連総会で演説することを効果的に阻止する協定を仲介し、クーデターで政権を握った後、国際的な正当性を求める軍事フンタの探求に打撃を与えた。
これは、軍事フンタとクーデターのリーダーであるミン・アウン・ライン上級将軍にとって大きな打撃となるでしょう。
同時に、U Kyaw Moe Tunは、追放されたビルマの指導者と反クーデター抗議者で構成されるNUG国民統一政府を代表せず、軍の権力獲得を非難することを控えなければならない。
この動きはまた、少なくとも11月までミャンマーの統治者が国連加盟国にそれ(NUG国民統一政府)をミャンマーの合法的な政府として認めるよう求める努力を遅らせるだろう。「私たちが聞いていること、そしてこれはますます堅実に思われることですが、資格委員会は延期するでしょう。彼らは今、確固たる結論を出すことはできないと言うでしょう、そしてそれは[U Kyaw MoeTun]が留まることを奨励するでしょう」と国際危機グループの国連代表であるリチャードゴーワンは言いました。
「どうやら、現在の大使は[この]ハイレベルな週の間は目立たず、政権を攻撃する機会としてそれを使用しないという静かな紳士協定があった」とゴーワン氏は付け加えた。
この取り決めは、外交政策に従って、欧州連合の代表者、ASEANおよびロシアの加盟国によって非公式に承認されています。2月1日に軍のクーデター前にミャンマー政府を率いた国民民主連盟(NLD)の数人のメンバーは、中国はU Kyaw Moe Tunを国連の議席にとどめるように静かに国連に働きかけていると述べたが、中国の外交官はまた、この問題に関してNUGを支持することは確実ではないと述べた。
中国は過去に(クーデター以前)国連安全保障理事会でNLD政権を支持してきました。
※中国の特使孫国祥は8月下旬に慎重にミャンマーを訪問した。彼はSnr-GenMin Aung Hlaing、政権の外務大臣U Wunna MaungLwinおよび連邦政府庁長官YarPyaeと会談した。
1週間にわたる訪問中、中国の使節は軍事フンタに、拘束された追放された指導者のアウンサンスーチーと話をするように促し、NLDを解散させないよう訴えた。◎9/14(日本時間9/15)[第76回国連総会はミャンマーを含む幾つかの国の代表に対する国連資格委員会のメンバーの任命を承認した。
《議長スウェーデン、
ブータン、バハマ、チリ、中国、ナミビア、ロシア、シエラレオネ、米国、
合計9カ国》※ミャンマー問題は米中間の協調調整が不可欠です。
これはそのことが表れた一例でしょう。
この件(国連代表問題)はしばらくはチョーモートゥン氏のままです。
ただし、NUG国民統一政府承認への承認運動は強く行っていくべきです。
11月以降の委員会も私個人の見解ですが、
ミャンマーに対する資格委員会の開催の再延期も視野に入れて行動すべきかと思います。
今後激化する軍事フンタの掃討作戦から如何にミャンマー(ビルマ)市民を守るか
10月、11月はミャンマー危機は正念場です。
PDF支援、避難民支援、超大国には彼らの通信手段の確保の手助けをしてほしい。
フンタに妨害されない通信手段の確保の手助けを!
☆ミャンマーの軍事フンタ政権はサガイン管区とマンダレー管区のいくつかの町で9/14(火)12:30〜(現地)インターネットアクセスを遮断しました。
イラワジ紙9/15
https://www.irrawaddy.com/news/burma/myanmar-junta-cuts-internet-access-in-anti-regime-resistance-strongholds.html
影響を受けたタウンシップは、軍事フンタ軍に多大な犠牲者を出した反体制抵抗グループの拠点です。ミャンマーの3つの主要な通信事業者であるMPT、Telenor、Oredooのモバイルおよびwifiインターネットサービスは、火曜日の午後12時30分から、サガインのカニ、ミンギン、インマビン、ペール、シュウェボー、ブダリンの各タウンシップ、およびマンダレー地域のモゴケとミンジャンのタウンシップでブロックされています。[※以前から軍事フンタによる襲撃、略奪、虐殺が繰り返し行われてきた地域][これから起こる軍事フンタの作戦は非常に危険、今のPDFの装備では]
ミンジャン周辺
6月から8月までの3か月間に、地元の人民防衛軍との衝突により、サガイン地域で840人以上の軍事フンタ兵士が殺害され、355人が負傷した(PDF側の記録)。
並行する国民統一政府によると、サガインの184人の民間人もまた、軍事フンタ軍によって殺害され、49人が負傷した。ミャンマー軍事フンタはまた、マンダレーのモゴケとミンジャンの町のレジスタンスグループからの激しい抵抗に直面しています。
Juntaが所有するMytelテレコムマストも先週から、SagaingおよびMandalay管区を含む全国で破壊されました。サガインのYinmabinTownshipの居住者は、地元の人々と抵抗グループが軍事政権軍のあらゆる動きをオンラインで共有しているため、民間の抵抗戦闘員がこの地域のあらゆる衝突で軍事フンタ軍を打ち負かしたと述べた。
「実際、彼らは[情報を共有する]人々を恐れているので、彼ら[軍事フンタ]はインターネットアクセスをブロックしている」と居住者は言った。
インターネットの停電前、サガイン地域の一部のFacebookユーザーとFacebookページは、潜在的な襲撃を事前に通知するために、政権軍の動きに関する情報を積極的に共有していました。Kani-PDFのスポークスパーソンは、インターネットの停電は、軍事フンタがこの地域の民間の抵抗勢力を攻撃することを計画していることを意味し、地元の人々が軍隊の動きに関する情報を共有しないようにしたいからだ。とイラワジに語った。
この数日間、ミャンマー軍のガンボートがチンドウィン川を巡視し、ヘリコプター(Mi-35)が頭上をホバリングしている間、ジュンタの兵士がカニタウンシップの村を襲撃している。
「彼らはインターネットと情報の流れを遮断することで、ここの人々を怖がらせています。彼らはまた、ヘリコプター、ドローン、砲艦で私たちを怖がらせます。これは私たちの人々に対する一種の心理戦です」とKani-PDFのスポークスマンは水曜日にTheIrrawaddyに語った。
7月、8月、軍事フンタ軍は電話とインターネットアクセスを遮断した後、カニの一連の村を襲撃した。
多くの地元住民はまた、インターネットの停電が、軍事政権がこの地域の反政権の拠点に激しい暴力を振るう可能性が高いことを意味することを懸念しています。
8月以降、インターネットアクセスは、カチン州の翡翠採掘の町Hpakantの軍事フンタによっても遮断されました。☆カチン州ハルカント 軍事フンタも民族側も、
採取したここの翡翠を(世界の翡翠の8割前後)中国への国境貿易が収入源の一つ
採取における劣悪な環境下で亡くなった地元民も多いと伝えられている。
Myanmar Now 9/15日
翡翠ハンターは、憎まれた軍事政権との戦いに参加するために、富の探求を保留にしました。
Hpakantの一部の若い幸運を求める人々は、自分たちの国の未来を自分たちの前に確保しようと決心しました。
9/18(土)現地PM15:00頃
チン州サントランで軍事フンタ軍による迫撃砲攻撃で爆発と火災が発生、
SianginnSang地区の約20軒が焼失した。
この火災を消化活動の為にオートバイで向かおうとしていた
TCBCの教会牧師であるCungBiakHmun牧師は、軍事フンタに射殺された。
軍事フンタテロリスト兵士は牧師の指を切り落とし、結婚指輪を奪って行った。
牧師は妊娠中の妻と2人の子供を残し
30歳の若さでこの世を去った。
教会は軍事フンタテロリスト兵士の銃撃を受け穴だらけである。
写真チンワールド9/19 18日夕方のサントラン
チン州の反軍事フンタ抵抗勢力は週末にチン民族軍グループと合流し、インド国境近くのチン州の軍事フンタ前哨基地を乗っ取り、銃撃戦で12人の政権フンタ兵士を殺害したと情報筋はRFAに語った。
RFA9/13日,14日
https://www.rfa.org/english/news/myanmar/outpost-09142021170709.html
チン国民戦線(民族戦線)CNAの約400人の戦闘員の連合と、
新しく組織されたチン防衛軍CDF(PDF)は、土曜日の夜、チン州のサントランタウンシップで有人の前哨基地の幾つかを制圧することができました。
CDFは、2月1日、アウンサンスーチーの民主的に選出された政府を追放した軍事フンタの軍事的乗っ取りと市民に対する暴力に反対し、自ら市民を守るために武装した市民によって形成されました。
彼らは、ミャンマーの少数、チン民族を擁護する民族政治組織であるチン国民戦線(CNF)に接続された武装グループであるCNAと力を合わせました。1988年の設立以来、CNAはミャンマー軍と戦ってきましたが、2012年と2015年に停戦協定に署名しました。地元紙TheIrrawaddyによると、CDFの8人のメンバーが週末の攻撃で命を落としました。
サントランのCDFスポークスマンであるRonoeLianは、Lungler村の基地をめぐる衝突は2日間続いたとRFAに語った。
「9月10日の夕方、CDFとCNAの合同部隊がキャンプを包囲しました。その日は、4時間の戦闘があり、午後1時頃、ジェット戦闘機が2回飛行しました。周囲を一周し、4回爆撃した」とロノエ・リアンは語った。
軍事フンタの航空支援は、その日に約9〜10回この地域を爆撃した、とRonoeLianは述べた。
「2日目は、5時間から6時間以上戦いました。最後に、私たちはキャンプをオーバーランし、軍事フンタのすべての弾薬を押収し、火をつけました」とロノエ・リアンは言いました。彼は、チン連合は、インドのミゾラム州のすぐ向かいにある軍事フンタキャンプに保管されている弾薬と小型武器を入手することができたと述べた。
収容所には12人の兵士が配置されており、数か月間援軍支援がありませんでした。
CDFはRFAに、基地が乗っ取られた後、おそらく偵察任務でフンタの軍用ヘリコプターがその地域で発見されたと語った。CNAのスポークスマンSalaiHtet Niは、軍がこの地域に援軍をもたらす可能性が高いため、戦闘が激化する可能性があるとRFAに語った。
「軍はここに多くの圧力をかけることができます。
私たちが知っていることは、彼らがこの地域に援軍を送っているということであり、彼らは州全体のすべてのCDF(PDF)運動を一掃することを計画していると聞いています」とSalai HtetNiは言いました。「そのため、より大きな衝突が予想されます。これが起こると思う」と述べた。
土曜日に戦闘が始まったとき、基地の近くに住む約1,000人がインド国境に向かって逃げた、と情報筋はRFAに語った。
「ロングラー村と他の2つの近くの村の人々は、戦闘を避けるために安全に逃げています」と、セキュリティ上の理由で匿名を要求した居住者はRFAに語った。
「戦闘が始まる前に家から逃げ出した人もいました。その後、より多くの人々が国境に向かって逃げた」と述べた。インドに本拠を置くChinHuman Rights Organisation(CHRO)の副事務局長であるSalai Za Op Linは、最近約1,000人の民間人がミゾラムに逃亡したとRFAに語った。
「村人のほとんどは安全に逃げてきました。
今朝、近くで軍用機が飛んでいるのを見たとき、村人の多くはおびえていました。
軍用機が現れた9月10日以降、多くの村人が家を出たと聞いた」とサライザオプリン氏は語った。「彼らはミゾラムのキャインセン村に向かって逃げましたが、近くに避難している人々もいます。合計で推定5,000人です」と彼は言いました。
CHROは、クーデター以来、3万人以上がチン州からミゾラムに逃亡したと述べた。軍は多くの地域で道路チェックを設置することで対応しました。これは州の特定の部分を物資から切り離し、食糧不足を引き起こす可能性があります。
軍事フンタのスポークスマン、ゾー・ミン・トゥン少将はコメントできなかった。
前哨基地への攻撃は、9月7日のミャンマーの影の国民統一政府(NUG)が支持者に全国的な反乱に関与するよう促した数日後に起こった。ドゥワ・ラシ・ラ暫定大統領は、軍事フンタの完全な転覆を求めた。
それ以来、国中の軍事フンタ兵士と市民防衛グループの間の衝突が増加している。サントランからの避難民
サントランタウンシップとその周辺での戦闘により、5,200人以上が避難し、食料や避難所がなくなりました。
https://www.myanmar-now.org/mm/news/8454
RFA 9/7日
《NUG国民統一政府は9/7日、軍事フンタ政権に対し宣戦布告した。》
全てのビルマの人々に蜂起を促した。イラワジ紙9/7
https://www.irrawaddy.com/news/burma/head-of-myanmars-shadow-govt-says-world-will-back-its-declaration-of-war-against-junta.html
ミャンマーの影の国民統一政府(NUG)の代行大統領は、それが必要なステップであったので、国際社会が国の軍事政権に対するNUGの宣戦布告を支持するであろうという確信を表明した。NUGは9/7火曜日に軍事フンタ政権に宣戦布告し、
☆ドゥワ・ラシラ大統領代理が市民に
「国の隅々で[クーデターリーダー]ミン・アウン・ラインが率いる軍事テロリストの支配に反抗する」
よう呼びかけた。
「近隣諸国、ASEAN諸国、国連、そして世界の他のすべての国は、私たちが国の現状に基づいて必然的にそれを行うことを理解していると私は信じています」と彼は国へのスピーチで述べました。
この発表は、今年のニューヨークでの国連総会の開会の1週間前、および地域ブロックASEANの特別使節が、国内での人道援助の提供を可能にするために4か月の停戦を要求した数日後に行われました。アウンサンスーチーとその民族同盟国が率いる国民民主連盟の追放された政府から選出された議員によって主に4月に結成された並行政府は、国内外で人気のある支持を享受してきました。
多くのミャンマー人はそれを彼らの合法的な政府と見なしているが、軍事政権はそれをテロ組織と名付けている。NUGの火曜日の全国的な武力闘争の呼びかけは、ミャンマーの「第二の抵抗の日」として歴史に残るでしょう。最初のものは、1945年に日本のファシストに対する国の武力抵抗の始まりを示しています。
今回、ミャンマーの人々は、彼ら自身の市民、つまり彼らが保護することになっている人々を抑圧し殺害している将軍に対して反乱を起こすよう求められています。ミャンマーの多くは、2月の軍事クーデター以来すでに反乱を起こしています。
政権の抗議者に対する致命的な取り締まりにより、多くの若者が武装することを余儀なくされた。
火曜日の影の政府の宣戦布告は、
軍事フンタに対する進行中の武力闘争を別のレベルに加速させる可能性があり、
戦闘は全国的に激化すると予想されている。火曜日の同国への演説で、大統領代理は、人民防衛軍(PDF)として知られる民間武装グループのメンバーに、
「それぞれの地域の軍事フンタとその資産を管理することを目標とする」
よう促した。武装の呼びかけは、これまで主に国の民族武装グループからの抵抗に主に直面してきた政権の軍隊にとって、物事を著しく困難にする可能性があります。
民族武装集団から武器訓練を受けたPDFが全国に散らばっているため、
今や彼らの戦場は都市部と農村部の両方にあります。
軍事フンタ政権の兵士は、民間人に対する残虐行為のためにすでに人々に嫌悪されており、連隊の門の外に出るとすぐに、民間人によるあらゆる種類の致命的な攻撃に対して非常に脆弱になります。ドゥワ・ラシラ大統領代理はまた、民間地域を暴れ回り、恣意的な殺害や逮捕などの犯罪を犯した政権兵士とは対照的に、
命令と交戦規定を厳密に守りながら、人々の生命と財産を注意深く保護するようPDFメンバーに指示しました。
彼ら(軍事フンタ)の襲撃の間。PDFメンバーへの指示に加えて、大統領代行は人々の安全をカバーする一般的な指示を出しました。
「すべての市民は不必要な旅行を避け、あなたの個人的な安全を気にかけるべきです。
必要な物資と薬をkeepします。Assist the PDFs and their allies」と述べた。国の民族武装組織と協力することの重要性を念頭に置いて—カチンとカレンのグループは反体制運動と連帯して政権軍を攻撃してきました—彼自身が民族カチンであるDuwa Lashilaは、すべての民族武装組織に直ちに発足するよう呼びかけました。
彼らの地域の完全な支配を維持しながら、いかなる手段によっても軍事政権の軍隊への攻撃。
彼はまた、国境警備隊や人民兵など、軍事フンタ政権と同盟を結んでいる民族軍に、人々と協力して人々の敵を攻撃するよう呼びかけた。「この革命は a just revolution, 平和な国と連邦連合を構築するために必要な革命です」と彼は言いました。
彼の演説の中で、大統領代理はまた、政権のために働いているすべての公務員に彼らの事務所に行かないように促し、すべての兵士と警察にすぐにPDFに参加してNUGに報告するように求めた。
彼は、PDFの最も一般的なターゲットの1つである、政権によって任命されたさまざまなレベルのローカル管理者に対処することを忘れませんでした。
彼はスピーチの中で、「軍が任命したさまざまなレベルの管理者全員がすぐにあなたの立場を離れる」と主張した。軍事政権が抗議者を取り締まり始めて以来、ミャンマーの政府行政システムの主要な要素である村と区レベルの行政官とその事務所は殺害され、焼かれ、爆撃された。
これまでのところ、少なくとも数十人の地方公務員が殺害されており、攻撃は続いています。大統領代行はまた、NUGは、この革命で命と財産を犠牲にしたすべての人々を国民的英雄とヒロインとして認めると述べた。
「人々の団結、創造性、知性、情熱、そして粘り強さに基づいて、革命期間はより短くなるでしょう」と彼は言いました。
タイの警察はタイに滞在しているミャンマーの影の国民統一政府(NUG)に関係する人を逮捕するよう警告されています。
ミャンマーの軍事政権は、東南アジア諸国連合(ASEAN)のミャンマー特使による4か月の停戦の呼びかけを受け入れたことを否定しました。
MyanmarNowのこの記事、軍事フンタに逮捕された8月2日、ヤンゴンの看護大学の21歳の学生であるThinzarTunさんの出身地であるマグウェ管区Paukタウンシップ キンマ村は6/15日、軍事フンタによって村は https://fb.watch/7OqCi9OLAj/ キンマ村6/15~16焼き払われました。
https://www.myanmar-now.org/en/news/families-fear-for-nurses-detained-over-accusations-of-pdf-ties
その後、9/2に各媒体で「米などの食料援助物資が軍事フンタによって燃やされた」報道がありました。
その後軍事フンタは9/3paukタウンシップ西部の村の村民を撃ち殺している模様。現地市民
そこから北東へ
サガイン管区KyaySarKya village,YinMarBin township9/4朝の軍事政権に対する抗議
同管区Salingyi北部とYinMarBin東部の村人、9/4早朝、
178日連続で軍事政権に対する彼らの毎日の抗議を行った。
:
ちょうどその頃、そこから南へ
Paleタウンシップでは9/4(土)村々からおよそ5000人が逃げだした。
理由は
そこから東へ
9/3Kale & Monywa tsps
Kaleタウンの4つの村(Lezin,Ywarhtg,AungThar,MyayNae)に対して
軍事フンタはPM15:00頃 14両の軍車両で村々を襲撃、破壊した。
◎また、先週末(9/3~4)サガイン管区カレーミョ南部13の村の何千もの村人が家を追われました。
これはVOA(ボイスオブアメリカ ビルマ)で9/6報道されました。
https://burmese.voanews.com/a/Myanmar-military-storm-villages-in-Kalay-township-middle-Burma-/6213912.html
「地元の人々は、犠牲者は武装したPDFグループのメンバーではなく、地元の村人であると主張しています。
逃亡中のTinTha村の人々は、軍事評議会がSagaingDivisionのKalemyoTownshipの南を流れるMyittha川の東岸と西岸に配置され、近くの村の村人に発砲したと述べた。
8月27日、軍がMyittha川の西にあるTin Thar村に入ると、村人は逃げることを余儀なくされ、軍隊が去ったときに戻った。しかし、9月2日、軍事フンタ軍隊は村に戻ってきて、村人たちは再び逃げなければなりませんでした。
今朝(9/3日)、彼は重砲でその地域を一掃し、小さな武器と軽兵器でその地域を追いかけました。」
9月3日、「軍事評議会が重火器と軽火器でIngyun村を襲撃したため、KalayPDFが応戦しました。
伝えられるところによると、9月4日、軍が遠隔地の村に向かう途中でPDFグループに発見された。地元のPDFによると、戦闘がIngyun村で発生し、PDFチームの3人のメンバーが負傷し、軍事評議会の8人のメンバーが殺害された。VOAは声明の中で死者数を確認することができませんでした。」
カレーミョ南部のミッタ川東岸の8つの村と西岸の5つの村で、約3万人が避難した。
Myittha川の東岸にある村はKyaukse、ကျောက်ထုတ်、အင်းကျွန်း、ရေရှင်、လေချား、ကုက⁇ိလ်、ရှားတော်、ヌワ村。ကျောက်ဖူး、ဒိုးနွယ်、EastSiVillageとKyanTharVillage。
現地民関係者のTwitter9/4着
Ingyun villageを
9/3 AM9:00頃 襲撃した。重砲撃を行った。
PM19:30頃 軍事フンタは民家に火を放った。
これにより村人はYeshin villageへ避難移動。
上にスクロール後、音声on
火を放った軍事フンタhttps://twitter.com/myothurakhrael/status/1433820543153631234?s=27
サガイン西部カレーミョ周辺
Shot DEAD 50歳のUkanTunさん。
Phalamchaing村からChaungSone村へ向かう途中、軍事フンタテロリストによって首をやられた。
9/4 AM4:00頃のこと、
その後、約30名の軍事フンタテロリストはInkokka村を襲撃した。
RFA Burmeseラジオフリーアジア ビルマ9/1によると
現在サガインの19の村から5万人以上が逃げることを余儀無くされている。とある。
※9/6の時点で判ったことはカレーミョ南部一帯で3万人の避難民であるから
サガインの他の地域とマグウェ北部で10万人は避難民になっている模様。
サガイン中域
亡くなられた若者。水際から引き上げられた時、彼の右足は膝から下が切断されていた。
あまりに酷い。転載はこれのみにしました。地元民ツイート
本当はNHKにNHKスペシャルで これくらいの仕事してもらいたいのだけれど・・
日本のメディア体当たり的な・・熱意というか・・感じないんだな最近は。
この前のミャンマーのNHKスペも中途半端!
このアルジャジーラの取材、あっぱれ!
2月クーデター前までは、ごく普通の若者達でした。
軍事フンタの市民弾圧が始まり仲間が殺され、国際社会は傍観者!!!
自分達を守るために彼ら彼女達はカレンやカチンの民族組織へ難を逃れ軍事訓練を受ける。
そしてPDF戦士となる。
これはKIAカチン独立軍のキャンプで軍事訓練を受ける若者達をアルジャジーラが取材したもの。
後半はカレン民族同盟支配下子供達学校がフンタに破壊された映像とカレンの方達へ取材
最後はKIAキャンプでの訓練を終えた若者達PDF戦士それから1~2月後・・・
最近の映像
https://fb.watch/7YbpjBtql-/実戦PDF
https://fb.watch/7YbNW9oU31/歌うPDF
https://fb.watch/7Yc9u0vKKO/歩くKNU
https://fb.watch/7YcvXTcnbF/革命歌とカチンキャンプ訓練PDF
※補足しておきます。
これらの武器の購入資金は何処からでしょうか?
答えは在外国ミャンマー市民達からの寄付金です!!!
何処の国も救済のパワーを派遣しませんから自らの命は自らの手で守る。
そして悪魔の軍事フンタを倒す!
本当の市民の軍隊!!!
故に私は小さいけれど僅かだけれど手を差し伸べる。
”ミャンマー未来連邦ビジョンの難しさ”
9/1~9/2イラワジ紙コラム
ミャンマー未来の連邦ビジョンは急速に衰退している[1]
https://www.irrawaddy.com/opinion/guest-column/visions-of-a-federal-future-for-myanmar-are-fading-fast.htmlミャンマー未来の連邦ビジョンは急速に衰退している[2]
https://www.irrawaddy.com/opinion/guest-column/visions-of-a-federal-future-for-myanmar-are-fading-fast-part-ii.html「・・・・最終的に、軍のクーデターは、崩壊と領土の断片化のリスクを冒して失敗国家になるための道に国を置きました。
多様な政治的および民族的グループ間の政治的連帯
または共有された政治的ビジョンがなければ
反クーデター運動が国の現在の政治危機を克服する可能性は非常に低いです。
連邦主義は、民主主義と連邦支持者の間の政治的連帯を築くための共有された政治的ビジョンとして大いに期待されてきました。
しかし、この決定的な瞬間に、連邦主義の魅力は以前のチャンピオン(NLD政権)の間でさえひどく減少しており、
明らかに連合と分離国家への傾向が高まっています。
クーデターは間違いなくミャンマーを政治的ブラックホールに陥れましたが、
特に反軍事フンタの政治的利害関係者の間で彼らが目指しているビジョンと
彼らがいる将来の国についてのコンセンサスが欠如しているため、
国の将来はさらに暗いように見えます。
ミャンマーは、国の将来に関する
共通のビジョンがすぐに刷新され、再構想されない限り、
悲惨な方向に向かっているだけです。」以下、下方シャン州についての箇所参照。
これに対する
私の簡潔な意見
戦闘について言えば現在、ラカイン州以外 の全ての州、管区で民間抵抗戦闘員(人民防衛隊(国民防衛隊)PDF)による軍事フンタに対する抵抗が行われている。
ラカイン州もULA / AA(アラカン軍)とTatmadaw(ミャンマー国軍)の間で再び戦う可能性について懸念。
8/29RFA(ラジオフリーアジア ビルマ)
伝えられるところによると、少なくとも5人の軍事フンタ兵士が、8/28土曜日にシャン州北部のミューズ近くでカチン独立軍(KIA)とコカン族のミャンマー民族民主同盟(MNDAA)の合同軍との衝突中に死亡した。
8/29日曜日の午後、Kokang Newsは次のように報じた。
「MNDAA軍は、クンロンからモンコエに向かう軍事フンタ兵士を2回待ち伏せし、少なくとも5人の兵士を殺害し、約20人を負傷させた。
「司令官と副司令官は死者の中にいました。私たちは2つのピストルを含む武器を押収しました」とMNDAAの情報担当官は言いました。
軍事フンタ(BGF国境警備隊含む)グループと
民族武装グループ(各地域PDF国民防衛隊と市民レジスタンス含む)間の戦闘は8月に入り活発化し、軍事フンタがカレン、カレンニー、カチンの困惑した州である反政府勢力の領土に援軍を送るため、今後数日で激化すると、民族指導者は8/25水曜日に述べた。
8/24火曜日、カヤー州のロイコータウンシップで政府軍とカレンニー国防軍(KNDF)およびカレンニー軍(KA)の兵士の合同部隊との30分間の衝突により、7人の軍隊が死亡、10人が負傷したが、KNDFの兵士は1人だけであった。
負傷したKNDFのスポークスマンKhunThomasは、RFAのミャンマーサービスに語った。
ロイコーの東の村でより多くの軍隊が前進するにつれて、戦闘は今後も続く可能性が高い、とスポークスマンは付け加えた。
「彼らが攻撃を開始することを計画しているところはどこでも、戦いがあり、近くの村の人々は安全に逃げなければならないでしょう」と彼は言いました。
「これは私たちが今言えることですが、どれだけの人々が逃げなければならないかを予測することはできません。」
クントーマス氏は、今月、軍とカレンニー連合軍の間で約20回の衝突があったと述べ、6人のKNDFメンバーが負傷し、誰も殺されなかったと付け加えた。軍の死傷者の正確な数は不明であると彼は言った。
ロイコーの住民はRFAに、火曜日の衝突により約20の村から約2,000人の民間人が避難したと語った。
一方、カレン州では、軍とカレン民族同盟(KNU)の軍事部門であるカレン民族解放軍(KNLA)のさまざまな部門との間で緊張が高まっています。
KNLAの第6旅団は、8月22日以来、カレン民族解放軍の町でほぼ毎日軍と戦っています。
Dooplaya地区書記のPadoSaw Listonは、KNLAの第6旅団との衝突で、少なくとも5人の軍事フンタ兵士が殺害され、2人が負傷し、2人が負傷したと述べた。
衝突の結果、KawkareikとKyaikdonの町の間の8つの村から1,000人以上の民間人が安全に逃げた、とKNLA第6旅団Doopla地区当局者は言った。
一方、カチン州のタナイタウンシップでは、軍がKIAの領土に進出するにつれて、8月21日から24日まで、ナンカム村とドンクン村の近くでカチン独立軍(KIA)と軍の衝突が毎日発生しました。
KIAの最前線の情報筋によると、最近の衝突でフンタ軍は「いくらかの犠牲者」を出したとのことです。
KIAの情報担当官であるNawBu大佐は、8/24火曜日にRFAに、カチン州での軍の活動の増加により、戦闘はまもなく激化する可能性があると語った。
「軍事フンタは兵器と物資をゆっくりと前進させているので、モンスーンシーズンと冬の始まりの後、私たちはより多くの軍事作戦を見るかもしれません」と彼は言いました。
KIA当局者によると、2月1日以降、KIAはミッチーナー、シュエグ、ハパカントの各タウンシップで軍事フンタ軍と約400回衝突した。
Hpakantでは、軍事フンタが8月20日からインターネットへのアクセスを遮断し、市内のセキュリティを強化し、国民の抗議と差し迫った軍事攻撃の噂を促しました。
Hpakantの居住者であるKaingYinは、インターネットの停止以来、軍隊が市内で多数移動しており、他の攻撃での軍による同様の戦術(ロヒンギャ族虐殺時の)を引用して、人々は戦闘を見越して逃げ始めたと述べた。
雨季の終わりとともに戦闘激化!
AAPPは強制失踪の犠牲者のこの国際デーに、
軍事クーデター以来のビルマの全人口に対するテロキャンペーンで軍が行った強制失踪を認めるよう国際的な関係者に呼びかけます。
AAPPの最新のデータベースの時点で、拘留中のリストに載っている人々の82%の現在の状態は、未知の場所に拘留されています。
国際社会は、市民社会から恣意的に拘留されたすべての人々の居場所を明らかにするように軍事フンタに要求しなければなりません。
説明責任から身を守るための軍事フンタの悪意の努力において、
これらの被拘禁者の居場所は市民社会と独立したメディアから差し控えられている。
実際、クーデター以降に拘留された合計7627人の運命や行方に関する情報は、軍事フンタによって明らかにされていません。
AAPP事務局長のUTate Naingは、次のように述べています。
家族は、警察署や刑務所に行って親戚について尋ねたり、他の受刑者の家族に賄賂を使って尋ねたりすることに時間を費やさなければなりません。
場合によっては、代わりにメディアを通じて情報が公開されることもあります。
民主的に選出された指導者であるUWinMyint大統領とDawAung San Suu Kyiの所在さえ明らかにされておらず、弁護士へのアクセスは制限されている。
このような意図的な失踪は、公安と基本的な国際法に深刻な脅威をもたらします。」
子供たちでさえ、軍事フンタによって人質として姿を消しました。
夜間の襲撃や平和的な抗議では、誰もが軍事フンタによって秘密の場所に拘留される危険にさらされています。
尋問センターや軍の兵舎に連れて行かれると、どこにいるのか誰も知らずにビルマで拷問されて死ぬ可能性があります。
AAPP共同秘書のUBo Kyiは、次のように述べています。強制失踪の結果、被拘禁者をいじめるだけでなく、家族や友人を苦しめることになります。愛する人の運命や行方を知らないので、これは一種の生理学的拷問であり、人権の肉体的虐待でもあります。このため、それは人道に対する罪の最悪の種類の1つです。」
ローマ規程の第7条(i)は、強制失踪が広範囲にわたるおよび/または組織的な攻撃の一部として行われた場合、人道に対する罪を構成すると宣言しています。
8月20日、国民統一政府は、2002年7月1日以降にビルマで犯された犯罪に関して国際刑事裁判所の管轄権を受け入れる声明を発表しました。強制失踪はローマ法によって作成された管轄権に該当し、人類に対するこれらの犯罪の責任は確保されます。
国連総会で国民統一政府の政治的正当性を認めることは、ビルマのフンタによる強制失踪の使用を免責で終わらせることを含め、これらの国際的な説明責任メカニズムを強化するでしょう。
ビルマ政治囚支援協会
※ASEAN特使未だミャンマーへ行けてない。誰とも会えてない。
主要国がASEANに責任を押し付け逃げの時間稼ぎに走った当然の結末です。
地域の地政学的影響(中国を念頭)を懸念して軍事フンタ政権に対し敢えて強い反対姿勢に出ないインド、オーストラリア、日本の高官達の考え方は中国のミャンマー内における両面政策(ネピドーに対する援助と北東部カチン、ワ州に対する援助のWスタンダード)を正しく理解していない。
頭でっかち過ぎて土着の歴史、風土、文化、人々への敬意がない。
イラストのBGFは軍事フンタの国境警備隊のこと。軍事フンタ士官を抱きかかえている。
KNUは子供を抱き抱える。
これから更に激しくなる
ミャンマー軍事フンタ
VS
少数民族軍&PDF&レジスタンス市民&フンタ離脱兵士将校
KIAの女性戦士、 ボート上のKNUカレン民族同盟軍事部門KNLA戦士
こちらは生きるために必死!
真の民主主義の価値、連邦国家への道は
こうしたビルマの長い繰り返された抑圧と弾圧経験を得て
人々の中から生まれてくる。
革命とはそういうものだ。歴史が証明している。
いつの時代も。遥かか昔も。そして未来も。
ミャンマー国軍は近い将来二つに分裂するだろう。離反者への聞き取りと展望
軍事フンタから 市民CDM側へ 寝返った人達2500人を超えたようです。
いくら洗脳教育受けていても時間が長くなればなるほど これはおかしい 間違い と気づくのが人間という生き物です。
ただし、今の状況に利益を見出している人はそうはならない。
離脱環境を整える(家族の安全を保証する環境を整える、刑務所の開放)
軍事フンタ政権が抵抗を押さえ込むことに利益を享受する一部の日本政府関係者、企業関係者、団体幹部は
フンタと運命を共にするがいい。
最近の市民達、
軍事フンタに見つからないようこんなに朝早くにデモ!連帯感、結束、みんなに敬意!
家を失った人たち、拷問を受けた人 写真は地元民
情報筋によると、
☆中国は、ミャンマーの軍事政権が国民民主連盟(NLD)を解散させる計画に懸念を表明している。
国民民主連盟は、2020年の大統領選挙で圧勝した党であり、中国当局は、NLDが政党として存在し続けることを望んでいるという北京のメッセージを政権の指導者に伝えたと彼らは言った。8/27イラワジ紙https://www.irrawaddy.com/news/burma/china-doesnt-want-myanmars-nld-dissolved-informed-sources.html
☆韓国大統領府は木曜日の声明で、韓国政府は、国際社会との緊密な協力を通じてミャンマーの民主主義の回復を引き続き支援し、ミャンマーの並行する国民統一政府(NUG)に関与すると述べた。☆カヤー州のストライキ警察官は、軍事政権と戦うために反体制グループと協力する警察を結成しました。
これは、軍事フンタの2月1日のクーデター以来、ミャンマーで形成された最初のそのような影の警察です。
カレンニー州警察(KSP)は、カレンニー州諮問委員会(KSCC)の指導の下、8月15日に結成されました。
クーデター後、軍事フンタが管理する内務省から亡命した320人の警察で構成されています。
ほとんどがシャン州南部のカヤー州とペコンタウンシップ出身ですが、ミャンマー南東部のカヤーに避難したミャンマー中部の警察も少数です。
KSCCは4月に結成され、選出された議員と政党、民族武装組織、および長年のカレンニー民族進歩党(KNPP)を含む市民社会グループの代表者で構成されています。評議会は、軍事政権と並行して機能し、カヤーで行政、立法、司法のメカニズムを運営することを目的としています。KSCCは、軍事フンタとの戦いにおける協力と協力について、影の政府である国民統一政府と交渉中です。
KSPは、KSCCの下で法執行機関として機能し、カヤー州全体の7つのタウンシップと、カレンニー族の人口が多いペコンの人々に安全を提供し、公共の利益を保護すると、KSCCの発表は述べています。
「私たちはまだ革命期にあるので、人々に十分に奉仕することはできません。
私たちは能力開発を提供し、人権と連邦民主主義について人々に講義しています。
将来的には通常の法執行機関としての役割を果たすことを目指しています」とUNe YeZin氏は述べています。
彼は、セキュリティ上の懸念を理由に、KSPの構造と詳細な責任についてコメントすることを拒否した。
警察の専攻は、KSPに参加するために内務省を捨てた最高ランクです。
KSPは軍事フンタ政権に対する武力闘争に参加しませんが、
《カヤー州の既存の民族武装グループ(カレンニー民族防衛軍KNDF)も含む民間戦闘員(人民(国民)防衛隊PDF)のグループであるカレンニー国民防衛軍(KNDF(KNDFは同じ、要は統合部隊))と協力します。》「彼らは主に救援活動と避難民の支援に焦点を合わせます。そして、彼らはコミュニティのカレンニーグループによって採用された法律を施行します。彼らは最前線で戦うことはありません。
KNDFは戦闘に責任があります」とKNDFのスポークスマンは言いました。
KSPは、難民に安全を提供するだけでなく、KNDFによって捕らえられた軍事フンタ兵士にも責任を負います。
捕虜は国際法に従って扱われます。
KSPはまた、連邦主義の概念を一般に広めるだろうとKNDFは言った。軍事フンタ軍は、カヤー州のロイコー、デモソ、フルソ、ボーレイクの各タウンシップ、およびシャン州のペコンでカレンニー族の武装勢力と衝突している。
軍事フンタ政権はまた、カレンニー族の活動家を逮捕し、公務員をストしている。
KSPは、KNDP、KNPP、および地元の人民防衛軍によって管理されているカヤの農村部で活動を開始します。
9/9(金)イラワジ紙に、
https://www.irrawaddy.com/news/burma/japans-much-touted-go-between-has-little-sway-over-myanmar-junta.html軍事政権に何の影響力も及ぼさない、フンタ代表の数少ない擁護者、日本ミャンマー協会渡邊秀央会長、麻生財務大臣兼副総理の名前が…
日本政府の対応が効果的ではなかったことが広く他国の外交官に知れ渡りました。
※8/22に放送された
《NHKスペシャル What’s Happening in Myanmar?》
「混迷ミャンマー軍弾圧の闇に迫る」
再放送が9/8(水)23:35~ あります。
https://www.nhk.or.jp/special/myanmar/
この番組の中で4/9(金)[バゴーの虐殺]についても放送されました。☆アメリカ合衆国では8/25
☆ワシントンポスト紙にこの”バゴーの虐殺”についての詳しい検証が転載されました。また、軍事フンタ兵士がTikTok上にUPした彼らの映像から思考分析を行なっています。
若い無知な洗脳された若い兵士。
ナチスと同列!
How Myanmar’s military terrorized its people – Washington Post
https://www.washingtonpost.com/world/interactive/2021/myanmar-crackdown-military-coup/クリックしてください
日本人はミャンマー(ビルマ)の惨状がどんな状況かよくわかっていない方がほとんどです。
新聞、ニュース報道も中途半端、
一部政府関係者との忖度もあるでしょう。
先のNHKスペシャルでさえも軍事政権の資金源となる恐れでヤンゴンYコンプレックスの土地利用料、家賃の件がでてきましたが、固有名詞ででてきた企業名はフジタだけでした。
もっと大きな企業、そして要のあの団体、なぜ出てこないか?
今のNHKでは言えないのです。昔のNHKならやったでしょう。
朝日新聞の記事も中途半端、
なんか感じが 昔のCCCPソビエト時代のプラウダに似てきたか。
プラウダに真実無し..ということで 衛星画像は嘘つかない Google Earthで
今のサガイン管区やマグウェ管区の村々の家々が判る高度の画像を撮って置いてください。
また、カヤーやカレン、シャンの町、農村、チンの村々、
2023年になったら同じ場所を同じ高度で画像を見比べてみてください。
そこに何が写っているか。
皆さんに宿題です。
★サガイン管区では6月以降〜 幾つかの村で村ごと焼き払われる事態が相次ぐ!
◎サガイン地域のミャンタウンシップに配備された軍事フンタ軍はCOVID-19に感染しており、
症状を示した後、少なくとも2人の兵士が死亡したとタウンシップの国民防衛隊(PDF)は述べた。
フンタ軍は先週からサガインとマグウェ地域で襲撃を行っており、土曜日(8/21)に2つの軍隊がミャンタウンシップに到着した。
PDFのメンバーはTheIrrawaddyに、(8/27イラワジ紙)
60人の強力な軍事フンタ隊の約50人のメンバーが病気であると語った。
「彼らは私たちの町に入ってから病気になっています。
彼らはボートのない水の中を歩き回らなければなりませんでした。
村人たちは彼らに食事を与えず、簡単に薬を手に入れることができません。2人が死亡し、1人が酸素補給を受けていると聞きました。COVID-19だと思われます」とPDFメンバーは語った。
エーヤワディー川沿いの町の東とチンドウィン川沿いの西にいる何千人もの村人が、軍事フンタの襲撃を受け逃げてきました。
そして軍事フンタ兵士もやってきました。
「彼ら(軍事フンタ兵士)は村人に助けを求め、医者を探しました。
彼らは鶏を盗んで食べました。誰も彼らを助けていません。コロナウイルスに感染している疑いがあります。
病気の兵士がいる軍隊はまだナベットにいるが、別の分遣隊がミャンのキャンプに戻った」と村人は言った。
フンタ軍は、サガインとイェサギョのタバイン、ミンギン、ミャウン、インマビン、カニの町やマグウェの他の町を襲撃し、抵抗基地を攻撃し、民間人を拘束し、略奪している。
彼らはまた、”村人を襲撃する際に人間の盾として住民を使用した”
(PDFやレジスタンスファイターが反撃できないように、)と伝えられている。
VOA8/22
サガイン地域 Depayin Townshipの住民は、軍事フンタが村で襲撃を行っていると言います。MuKan村とMuYoneKone村で逮捕された人々がいます。
少なくとも15の村が軍事政権によって避難させられました。
この地域では軍事フンタを恐れて水田に稲を植えることが十分に出来ていない。みんな避難民となってしまった。
サガイン管区広域(中域、北側は写ってない)、左下方poukタウンシップ キンマ村(ここはマグウェ管区)は6/15日に村が焼き払われたことがその後VOA,RFAでも報じられた。
さらにpoukから西へ少し(写真外)行ったダバイン タウンシップの村々では7/2 大規模な軍事フンタの襲撃があった。死者多数。
◎8/18サガイン管区カニタウンシップの東方、サポギ村が軍事フンタに襲われ村が焼き払われた。家畜は殺された。村人達は避難民となった。(地元民FB送信までのタイムラグ3.5日。
どういう事か説明するとフンタの襲撃に遭った地域は事前にネット回線等通信回線が遮断される。場合によっては回線が保たれている時もある。(その時のフンタ側の都合)もしくは遮断されたままの地域、又は軍事フンタの管轄するネット回線のみ、送信するには都市部の現在通信回線が保たれている地点まで行く必要がある。その間に軍事フンタに見つかれば殺されるでしょう。
ですから命懸けなのです。
ですから幾つかの村が襲撃されても外部にほとんど知られないのです。
インドミゾラム側から高高度無人偵察機でリアルタイム監視することおすすめします。)
写真は地元民
村に火を放った軍事フンタ
避難民の人々
◎8/20(金)カチン州のHpakantTownship、現地夜22:00〜全てのインターネット回線電話回線が切断された。(地元民)のち8/24VOAで報道、イラワジ紙も報道(現地時間20:30〜と報道)
8月24日、タッマドゥ(国軍(軍事フンタ))とカチン独立軍(KIA)がタナイタウンシップで衝突した。住民は、タニンタリから小火器が発砲するのを聞いたと述べた。地元住民はVOAに、戦闘はタナイタウンシップのナンビュ村の近くで行われた可能性があると語った。
長期に及ぶ事になるなら以前ラカイン州で軍事フンタがロヒンギャ族虐殺の時に用いた状況と同じ!
◎軍事フンタは市民達からラジオの没収を始めた。(NUGから始まったラジオ放送を聞けなくする。)(イラワジ紙8/21)他、フンタによる電波妨害があった模様。
◎軍事フンタ政権は部隊司令官や他の上級将校に戦闘準備をするよう命令を出したため、今後数日のうちに暴力と破壊が激化するだろう。(イラワジ紙8/21)
◎KNUによると、ミャンマーの軍事政権とカレン民族同盟(KNU)は、カレン州のカウカレイク郡区の南にある村でそれぞれ軍隊を動員しました。
軍事政権軍は、第12軍事作戦司令部(MOC)の兵士と、ソーベル大尉が率いるカレン州国境警備隊の大隊1021で構成されています。KNUは彼らの数を約80人と見積もっています。
KNU側は、カレン民族解放軍(KNLA)の大隊18(KNUの武装部門)と民間の若者、およびSaw KyawThet少佐が率いる民主カレン仏教軍の破片グループで構成されています。8/27(イラワジ紙)
ささやかな協力 簡単に出来ました。
AAPP8/18
サガイン州インマビン地区カニタウンシップでの虐殺
2021年2月1日、軍事政権は権力を掌握し、国の選出された指導者を恣意的に逮捕しました。地域や州の人々はさまざまな方法で軍事政権に抵抗してきました。
サガイン州インマビン地区のカニタウンシップは、クーデターに反対する著名な地域として知られています。軍事政権の対応は、カニタウンシップの地域、および周辺の村や森林を標的にして破壊し、銃撃、逮捕、軍事侵略の襲撃を行うことでした。何千人もの住民が近くの村や森に逃げてきました。軍事フンタもこれらの村に入り、水牛、牛を殺し、村から財産を略奪しました。ケールタウンシップに本拠を置く第228大隊を含む第44および第99軽歩兵師団は、3つの異なる戦略師団で数千人の軍隊を使用して、カニタウンシップのほぼすべての村を攻撃しました。多くの地元住民は、軍事フンタによる非人道的な残虐行為に耐えてきました。
恣意的逮捕、拷問、そして時には拷問によって殺される。また、国内の避難民が食糧や医療の不足に苦しんでいることも報告されています。テロリスト(軍事フンタ)グループは、恐喝や、必需品を購入するためにモニワタウンシップに移動する際にライフルの株のように地元の人々を暴行、脅迫、殴打することでお金を集めています。OoredooとTelenorの通信事業者のインターネットと電話回線は7月9日に停止され、MPTは8月2日にカニタウンシップのいくつかの村で遮断されました。地元の人々によると、現在、一部の村では軍が所有するMytelインターネットと電話回線しか利用できません。
軍事フンタは、民間人を無差別に標的にするために、その4つのカットの教義を使用しています。7月だけでも、軍事フンタはカニタウンシップの村で4件の虐殺を行った。
この方法で少なくとも43人が殺害されたことが発見されました。最初の虐殺(4人の死者)
7月1日午後4時から6時まで、サガイン州インマビン地区カニタウンシップのモネオ村とイワルタール村の間のシトコエタットの森で4人の男性が逮捕され、拷問され、頭を撃たれた。地元住民によると、7月3日の銃撃で(4)の死体が頭のない状態で発見された。近くの火事で(25)のオートバイが燃やされたのが発見された。(4人の)男性はそれぞれSein Kone村、Phan Khar Kone村、Sule Kone村、InnChaung村から来ました。2回目の虐殺(16人の死者)
軍事フンタはチンドウィン川の東岸にあるイン村とコーンタール村を襲撃した。彼らは村に入り、7月9日と10日に住民をKyauk HleKa村に逃げさせた。行方不明になったのは26人の村人だった。地元の人々がそれらを探しに行ったとき、(15)サガイン州カニタウンシップの陰村の東にあるキンタンシェイヒルの谷で死体が発見され、(1)近くの別の村で死体が発見されました。陰村の地元住民によると、死体は7月11日と12日に陰村の東の丘で発見された。
(16)人の殺害された方々は、Yin村(13)、Kone Thar村(1)、Paluzawa村(1)、およびHtauk Kyan Kone村(1)からでした。犠牲者のほとんどは30歳〜50歳の男性で、犠牲者の1人は60代の男性でした。すべての死体は激しい拷問の兆候が見られ、顔や首に切り傷や打撲傷があったものもありました。3回目の虐殺(12人の死者)
7月26日の夕方、サガイン州カニタウンシップのジーピンドウィン村の近くで軍事フンタと人民防衛軍(PDF)の衝突が発生しました。一部の村人とPDFが行方不明になりました。Zee Pin Dwin Villageの背後にあるパドルフィールドで、最初の検索で5人の死体が見つかり、2回目の検索でさらに7人の死体が見つかりました。7月27日に合計(12)の死体が発見されました。
2回目の捜索中に、村人たちは穴を掘り、(4)犠牲者、(1)木からぶら下がっている、(2)地面に横たわっているのを見つけました。2回目の検索で見つかったこれらの(7)死亡者のうち、(2)60歳以上の高齢者、(1)身体障害者、(4)18〜30歳の死亡者。この3回目の虐殺による死者(12人)は、ジーピンドウィン村(2)、チンフォン村(1)、タミンザット村(1)、タラウク村(1)、モニワタウンシップ(7)でした。地元の人々によると、すべての犠牲者は殴打や拷問による傷や負傷で発見されました。
4回目の虐殺(11人の死者)
Junta軍は、KaniTownshipのTaungpaukVillageTractのHtooVillage近くの小さな村を襲撃しました。カニタウンシップの地元人民防衛軍(PDF)が攻撃に抵抗し、7月26日と27日に衝突が発生した。7月28日の朝、軍事フンタはタヤットタウ村の農民であるコアウンキョウミントの家を襲撃した。 Kyat Chaung TawTikeで。(11)Ko Aung Kyaw Myintを含む男性が拘留され、彼の家はテロリストグループによって全焼した。犠牲者の妻の一人によると、彼女は午前10時ごろ、タヤット・タウ村の地元のミン・テイン島の農場の近くで(10)発砲を聞いた。7月31日、村人たちは捜索を続け、タヤットタウ村のミンテイン島の農場で虐殺された男性(11人)を発見しました。
11人の犠牲者はすべて男性であり、Kho Dwin村(1)、Thayat Taw村(6)、Kani Township(3)、およびNyaung Thu村(1)からでした。カニタウンシップの(3)は、親戚の村で石炭製造の農民として働いていた兄弟でした。死者のうち、(3)は顔や全身に打撲傷があり、頭や胸を撃たれ、ガソリンで顔に火傷を負った。
発見されるまでに、すべての遺体は腐っていました。事件の余波で、カニタウンシップのキンタウンビレッジトラクトのコードウィンビレッジに住むウマウンミントは虐殺に精神的に苦しみ、軍隊が夕方に拠点を置いていたカニタウンシップの高校にバイクを運転した。 U Maung Myintは、「市民はあなたのせいで亡くなりました」と叫びました。
彼は武装せずに学校の壁に近づいた、フンタ軍隊は彼に向け撃った。彼の家族によると、junta軍により一晩で体を失った。この軍事フンタテロリストグループによって犯された残虐行為は、ビルマ全土で毎日起こっています。
カニタウンシップでの虐殺は、具体的な証拠とともに浮かび上がってきた事件に過ぎません。
これらの出来事は、軍事フンタが人道に対する罪を犯していることを証明しています。
ビルマ中の民間人の生命と財産を脅かすこれらの犯罪の原因となっているのは軍事フンタです。カニタウンシップでの虐殺は、国際法に基づく絶滅の行為です。
1949年ジュネーブ条約とその1977年6月8日の追加議定書は、民間人の保護、民間人の生存に不可欠な物、文化的物、国際的または非国際的な礼拝所などの国際人道法の規範を確立しました。国際的な武力紛争。ジュネーブ第4条約第32条によれば、戦時中の民間人の保護に関するジュネーブ条約は、保護された人の身体的苦痛または絶滅を引き起こすような性格の措置を講じることは禁止されています。 。これは、殺人、拷問、体罰、肉刑、保護された人の治療に必要のない医学的または科学的実験だけでなく、民間または軍の代理人によって適用されるかどうかにかかわらず、残虐行為の他の手段にも適用されます。
尚、こうした虐殺のケースは十分な遺体検証と身元特定が出来ていない為AAPPの死亡者数にカウントされません。
カニタウンシップの虐殺と民間人の標的化は、ジュネーブ条約の明らかな違反です。
カニタウンシップでの軍事フンタによる民間人の拷問と殺人は、国際社会から人道に対する罪として非難され、それに応じて訴訟を起こされなければならない。
カニタウンシップと同様の事件がデパイインタウンシップや他のタウンシップで発生しました。
したがって、これらの事件は市民社会組織によって調査されます。(2名)の60歳以上の人、および(1名)障害者が2回目の虐殺で殺害された。
この軍事フンタは、子供や障害者など、社会の最も脆弱なメンバーに対して繰り返し拷問を行ってきました。ビルマを含む182ヵ国によって批准された、障害者の権利に関する国連条約の第(15)条は、「締約国は、障害者を拷問から保護しなければならない」と述べている。国際社会は、これらのグループが保護されることを確実にするために、その重要な責任を順守しなければなりません。
したがって、国際社会はこのテロリスト集団に対して行動し、国連総会での殺人的な軍事フンタと非合法なクーデターを拒否する必要があります。
同時に、ビルマ国民から正当性が認められた挙国一致内閣《NUG国民統一政府》は、
国際社会からビルマの正当な政府として認められ、適切な資格を与えられなければなりません。ローマ規程を批准すると、NUGは国際刑事裁判所(ICC)に軍事フンタを紹介し(訴え)、
国際司法裁判所(ICJ)でミャンマーを代表する必要があります。
☆イラワジ紙によると8/18(火)同日、このカニタウンシップの幾つかの村での虐殺は
NUG国民統一政府によって国連安全保障理事会へ報告されました。
上の写真はTwitterから 8/11イラワジ紙から部分引用
8/10(火)軍事フンタがヤンゴンのボタタウンタウンシップの44番街にあるアパートを襲撃したとき、彼らは建物から飛び降りた。
6歳の子供の母親だった1人の男性と女性が、下のコンクリートの路地を打った後、その場で亡くなりました。
軍事フンタ政権は水曜日の声明で、他の3人の男性が負傷したと述べた。しかし、彼らがジャンプした高さを考えると、負傷者は生存の可能性が非常に低い。
発表はまた、他の3人(男性2人と女性1人)がアパートで手榴弾を含む爆発物で逮捕されたと述べた。
襲撃は、火曜日の朝の爆発を含む、最近のヤンゴンのダウンタウンでの一連の爆発の後に起こった。
ミャンマーは2月の軍事的乗っ取り以来、国中の人々が自由に使える手段で軍事政権に抵抗しているため、混乱している。
若者たちは、抵抗者に対する軍事フンタの致命的な取り締まりに対し、
軍事政権の軍隊とその仲間を標的にして武装した。爆発物を投げつけ離脱する。
目撃者によると、火曜日の襲撃中、軍事政権の軍隊は、襲撃から逃れるために屋上に逃げる男女に発砲する前に、建物を封鎖した。
軍事フンタの銃撃により、建物の屋上から男が転落した。
目撃者によると、軍事政権の軍隊に降伏するのではなく、屋上に閉じ込められた5人が建物から飛び降りた。
目撃者はイラワジに、4階建ての建物の屋上から飛び降りた後もまだ生命の兆候を示している若者の何人かは、軍事政権の兵士と警察によってライフルの尻で殴打されたと語った。
「彼らには他の選択肢がなかったようです。もし彼らが逮捕されていたら、彼らは軍事政権軍によって殴打され拷問されたであろう。それで、彼らは逮捕されたくなかったので、別の方法を選びました」とある目撃者は言いました。
他の人々は、5人が、軍事フンタによる尋問中に反体制運動に関する情報を明らかにしないために自分たちを犠牲にすることを決定し、彼らの仲間が押収されるのを防いだと信じていた。
ジャンプした人々の中にいた27歳の男性の父親は、息子のイラワジに2月のクーデターまで政治に興味がなかったと語った。
「軍事クーデターの後、彼は彼らの将来のために軍事フンタに抵抗しようとし始めました。彼は2月に一度逮捕された」と父親は安全上の理由から匿名を条件に言った。水曜日の時点で、彼はまだ息子の運命について、彼が生きているか死んでいるかについて何も知りませんでした。
「私は今彼を死んだと思っています。辛いですが、私は彼を誇りに思っています」と彼は言いました。
火曜日にニュースが広まると、ミャンマーの人々は感情的に反応しました。
全員が5人を殉教者と見なし、彼らが信じていたことのために自分たちの生活をあきらめることを躊躇しませんでした。
ミャンマーで最も有名なロッカーの1人であるBigBagのHanHtu Lwinは、彼のFacebookに次のように投稿しています。多くの愛と尊敬…」
建物から大胆に飛び降りる5人のアーティストのイラストが広く共有されています。写真では、下にコンクリートの路地はなく、ひまわり畑があります。
無論こうしたケースもAAPPが検証出来ていない為、死亡者数にカウントされていません。
《クーデター後の軍事フンタによるミャンマーの森林違法伐採》
違法伐採はクーデター前に比べ、5倍に!ミャンマー軍事フンタは森林違法伐採材木売買業者に青信号を与える
8/17イラワジ紙
https://www.irrawaddy.com/news/burma/myanmar-juntas-coup-gives-greenlight-to-timber-traffickers.html
※一部記載、 全文、森林状況対比スクロールは上記クリック
木材伐採は通常、モンスーンで休憩します。密輸業者でさえ、梅雨を避けるために5月中旬から10月上旬まで活動を停止します。しかし、サライは、インドとカチン州の国境の間にあるミャンマー北西部の森林地帯であるサガイン州のカムティにある彼の村の近くを毎日15〜20台の木材トラックが通過するのを目撃しています。
地元の環境ウォッチドッグであるサライ氏は、伐採トラックは、木材貿易の中継ハブであるピンレブ、ケール、カタを経由してシャン州北部に向かっており、最終目的地は中国雲南省のノンダオまたは瑞麗であると述べた。どちらの場所も、雲南省で何十年にもわたってミャンマーからの材木の貯蔵と貿易のハブとして機能し、その後、材木は中国の他の地域に輸送されてきました。一部の材木は、カチン州北部の交差点を経由して中国にも輸送されます。
「軍のクーデター以来、違法伐採は制御不能になっています」とサライはイラワジに語った。
彼は、セキュリティ上の理由からフルネームを使用しないように求めました。
「政治情勢のため、ソーシャルメディアでもそれについて話すことができませんでした。
ご存知のとおり、それは私たちにとって非常に危険です」と彼は付け加えました。チークやその他の貴重な広葉樹に対する中国の需要は、30年以上にわたってミャンマーで大規模な違法伐採と森林破壊を引き起こしてきました。材木密輸業者は、カチン州、シャン州、サガイン州から陸路を経由して大量の伐採チークを中国に輸送することが知られています。Global Forest Watch(GFW)によると、違法伐採の結果、2001年から2020年の間にミャンマーはスイスとほぼ同等の樹木被覆を失いました。
世界の残りのチークの供給の多くはミャンマーにあり、伐採貿易は以前の軍事独裁政権の主要な収入源でした。
2015年に国民民主連盟(NLD)政府が発足したとき、違法伐採を阻止し、木材の輸出や伐採の禁止など、国内の森林破壊を減らすためにいくつかの努力をしました。
これは、ミャンマーでの伐採を減らす上で重要な動きでした。
さらに、NLD政府は20万トン以上の違法木材を押収しました。
しかし、軍事フンタが木材のすべての収穫と販売を規制するミャンマー木材企業(MTE)を支配したため、
軍事的買収により文民政府の進展が解消されました。米国、英国、および欧州連合はすべて、クーデターとそれに続く反体制抗議者に対する致命的な取り締まりに応じて、MTEに制裁を課しました。
しかし、英国紛争環境観測所グループ(CEOBS)によると、ミャンマーは近隣諸国に目を向けることができ、木材は多孔質の国境を通って中国、インド、タイの製材所に陸路で移動します。「ミャンマーの軍隊は、環境ガバナンスにおいて恐ろしい実績を持っています。
しかし、それは民主化前の唯一の国際的支援者であった中国との強いつながりを持っており、一帯一路プロジェクトの継続と拡大が期待されています」とCEOBSは述べました。5月と6月、軍事フンタはNLD政府の下で、サガイン、バゴー、ヤンゴン地域、ラカイン、シャン州南部で押収された25,000トンの違法木材の備蓄を競売にかけた。さらに、サガイン州西部からモンユワとヤンゴンへの67,690トンの木材輸送の入札も招かれました。ログは将来のオークションで販売される予定です。
サガインは違法な木材密輸の主要な地域の1つであり、毎年数千トンが主に中国に密輸されています。
2016年から2020年7月まで、NLDは、カニ、モーライ、パウンビイン、カレーワ、タム、バンマウク、カサ、キュンラ、インマビン、ペールの各タウンシップで、広葉樹やその他の種類の木材など、45,000トン以上の違法木材を押収しました。地元の監視人は、クーデター後、東南アジア諸国連合の遺産公園の1つとしてリストされているミャンマー最古で最大の国立公園であるサガイン地域のアローンドーカタパ国立公園での違法伐採が横行しているのを目撃したと述べました。
160,500ヘクタール以上の無傷の熱帯林と野生生物の生息地を保護します。中国で最も需要の高いローズウッドなどの広葉樹が豊富にあります。ローズウッドは、中国のミャンマーから輸出された最も人気のある木材です。
家具を作るための中国からのミャンマーのローズウッドへの大規模な需要は、過去10年間、ミャンマーでの違法伐採と木材の密輸を引き起こしました。警備員は、クーデター後、森林当局が3月初旬から市民的不服従運動(CDM)に参加し始め、軍事政権下での活動を拒否したため、アローンドーカタパ国立公園での違法伐採が激化したと述べた。
「国立公園では樹木が伐採され、当局者がいなくなった後、公園の遠隔地で毎日何百人ものローズウッドの密猟者が活動していた」と、名前を挙げないように求めた地元の環境保護論者はイラワジに語った。
「3月下旬から5月中旬まで、毎日少なくとも20〜30台のトラックが公園に出入りするのを見ました」と彼は付け加えました。違法伐採の急増に続いて、人気のある僧侶Shwe Sanpin SayarTawが3月にAlaungdawKathapa国立公園を訪れ、当局に伐採活動の停止を要請した。僧侶はまた、Facebookに伐採された古い木の写真を投稿しました。
しかし、地元の環境保護論者は、伐採活動は5月中旬まで続いたと述べた。「大雨のために彼らは立ち止まりました。モンスーンシーズンが終わるとすぐに伐採を再開すると確信している」と語った。
ミャンマーの法律は、木材の陸上貿易を禁止しており、すべての木材輸出はヤンゴンの港を通過することを義務付けています。
しかし、中国とミャンマーの国境近くで毎年大量の材木が押収されていることは、洗練された国境を越えた木材売買ネットワークと腐敗した役人の存在を示しています。
英国と米国に本拠を置く環境調査エージェンシー(EIA)によると、
違法な木材取引は、紛争、停戦、不況、政府の政策変更、一時的な取り締まり、郡内の初期の政治改革に直面しても回復力があることが証明されています。
イラワジは、軍の乗っ取り以来、サガイン地域で何トンの材木が伐採または密輸されたかを確認できませんでした。
ただし、メリーランド大学のGFWのGlobal Land Analysis&Discovery(GLAD)ラボによって作成された森林破壊アラートは、2月1日から8月9日までの間にサガイン地域で209,260のアラートが報告され、そのうち46%が信頼性の高いアラートであったことを示しました。GLADは、NASAのLandsat衛星からの画像を使用して、林冠が乱された領域に自動的にフラグを立てます。GLADシステムは、最新の画像を分析し、それらを履歴データと比較して、樹木が失われた場所を特定します。各アラートは、林冠の乱れを経験した30 x 30メートルの領域[2つのバスケットボールコートのサイズ程度]を示します。これは、その領域の樹木が失われたか、削除された可能性があることを示します。
衛星画像に基づいて、ヤンゴンを拠点とする環境専門家は、
アローンドーカタパ国立公園の熱帯雨林の大部分が過去6か月以内に消滅した可能性があると述べました。
しかし、衛星画像だけから違法伐採によって失われた森林面積の正確な量を特定することは難しいと彼は述べた。「これは悪夢です。公園は仏教徒にとって聖地であるだけでなく、国内で最も重要な生物多様性地域の1つでもあります」と環境専門家は述べています。
《8888UPRISING IN 2021》
8888って何?中華系の感覚だとお祝い?ラッキーな?
違います!今から33年前
1988年8月8日、この日のビルマ(ミャンマー)のゼネスト・デモは
ビルマの民主化運動の象徴として捉えられています。
「8888民主化運動」で各調べてみてください。
また、前後背景も一緒に調べてみてください。
あと、ミンコーナイン氏も調べてみてください。
今のビルマ(ミャンマー)市民の心情を少し理解できるようになるでしょう。「クーデターとテロへの反対(ピート・バウレス大使)」
ビルマの英国大使ピート・バウレスは、33年前にビルマを軍事政権から民主主義に変えるために8888運動で命を落とした人々を覚えていると言います。
8月8日は、ビルマでの軍事支配に反対する1988年の蜂起から33周年を迎えます。
英国は、民主主義、人権、そしてより公正な生活のために戦って命を捧げた人々を忘れません。8888を記念した国際的なビルマの人々による抗議8/8VOA(ボイスオブアメリカ)
本国ビルマをはじめ、
ワシントンD.C.、アムステルダム、ミュンヘン、ベルリン、韓国の各地、等で
現地在住ビルマ(ミャンマー)人は8888の記憶の日に合わせて
NUG国民統一政府を公式に認めるよう抗議活動を行なった。
東京ではミャンマー大使館前で軍事フンタに対する抗議も行われた。
https://burmese.voanews.com/a/5995224.html下の写真はビルマ時間の8/8夕方、ワシントンD.C.
米国のビルマ(ミャンマー)市民はバイデン政権に対して公式にNUG国民統一政府を認めるよう
この日、活動を行った。 アメリカ国務省はNUG側とコンタクトを頻繁にとっている。
日本政府は頑なに拒み続けている(日本ミャンマー協会と軍事フンタの関係)。
こうした日本政府の姿勢には問題がある。
写真はMizzima
シャーマン米国務副長官とNUG国民統一政府外相Daw ZinMarAung
写真はTwitterから
※彼女は8888革命(民主化運動)の10周年と逮捕された学生を釈放する運動に参加、また1990年の選挙(88年、軍による鎮圧に対して結成されたNLD国民民主連盟が初の選挙で圧勝→軍は「国の安全を優先する」と権力移譲を拒否)結果を尊重し議会を召喚する運動を組織、その後逮捕され禁錮28年の刑を言い渡されインセイン刑務所とマンダレー刑務所で11年過ごす2009年9月釈放され政治活動を再開、2012年米国国務長官から国際勇気ある女性賞を受賞。
8888記念2021年8/8の抗議
写真は名古屋
名古屋でもこの日の午前中からお昼にかけて伏見、白川公園〜栄方面でデモ行進があった。
私は仕事中でした。午後から行く事が出来ました。
店主撮影8/8
ああ、8888から随分たってから軍事フンタは
マグウェイ空軍基地が襲われたことを認めた
イラワジ紙
8/16、軍事フンタ政権のスポークスマン、ゾー・ミン・トゥン少将によると、一部の航空機は8月8日にマグウェ軍用飛行場で爆発した榴散弾に見舞われた。
レジスタンスファイターとベイクタノ国民防衛隊(PDF)の同盟は責任を主張し、
1988年、軍事独裁者のネウィン将軍に反対するために数十万人が全国の街頭に出た8888蜂起の33周年を記念して、共同で空軍基地を攻撃したと述べた。
8/1軍事フンタ代表ミンアウンフラインは自身の首相就任と暫定政府の樹立を掲げたが
化粧でごまかしただけ、中身は更に悪化するだろう。
率直に言ってこうしたケースは歴史がその行く末を証明している。ASEANミャンマー問題特使は8/4決まったが・・・
7月下旬、軍事フンタ側は民主国家インドネシアの特使候補を退け軍政同士であるタイの特使候補を選んだ。
詰まるところミャンマー(ビルマ)全体にとって軍政フンタの都合の良い内容に
ASEAN会議がなって行く。
インドネシア等は激しくやり合った。
そして8/4議長国ブルネイの第二外務大臣エリワン・ユソフがASEAN特使に任命されることが決まった。
ただ、軍事フンタ側が拘束中のドウ アウンサンスーチー国家顧問、ウィンミン大統領、他のNLD議員、等と面会して話を聞くことが出来るのか不安は多い。
フンタ側はこれらの事柄に回答していない。
目下、緊急コロナ支援が最優先だ。
善良なミャンマー市民の元へ支援が行き届くよう軍事フンタ側も妨害しないよう、また、国連を通した各国の支援を許可すべきところは許可して敏速に支援が出来るよう取り計らわなければならない。
幸い幾つかの箇所で許可がでた模様。8/5ただ、あまり期待しない方が良いでしょう。
フンタ側の方針に基本的な変化はない。
だからこそ、ワシントンと北京の調整が重要。
写真はシャーマン副長官Twitterからそれから国連安保理。中国の協調行動が不可欠!
安保理決議の採択。(選挙で選ばれた文民政権に迅速かつ平和的に権力を戻すことを明確に求める決議)※《「◎ミャンマーに関する国際協力に必要な枠組みを提供するには北京とワシントン間の外交が不可欠になる。他にも重要な国がある。近隣国であるインドやタイ、そして援助と投資で過去10年間ミャンマー経済で重要な役割を担ってきた日本だ。
◎民主主義のためだけでなく、政治と社会の幅広い変革のために努力する人々を支援しなければならない。
これには国連の文民チームが人権侵害を監視し、政治犯の釈放を交渉することも含まれる。
但し、国際社会が救済にかけつけるという非現実な期待をミャンマー民衆に与えないよう配慮することも重要だ。
国際的な救済をイメージさせれば、
ミャンマーが必要とする国内での幅広い連隊形成努力が損なわれる恐れがある。◎人道的な災難を回避するために、民間経済をできるだけ守る必要がある。
国軍との取引関係のない責任あるグローバル企業には、むしろ、ミャンマーにとどまるように促すべきだ。
(経済が動く中で)健康を保ち、十分な食料を与えられていれば、民衆は政治改革をより上手く促進しようとする。◎今回の危機は2月クーデターだけでは説明できないし、数十年にわたって国家破綻プロセスが続き、国家建設に失敗し、あまりに長期にわたってあまりに多くの人にとって社会と経済が不公正だったことによって引き起こされているからだ。
おとぎ話は忘れて、本格的な外交と十分な情報に基づく現実的な戦略をとるべきだ。
数年という時間をかけて人々が求めている平和的な民主主義国になる見込みが出てくる。》
Thant Myint-U氏 8月FOREIGN AFFAIRS
Myanmar’s Coming Revolution:What Will Emerge Collapse? )」こんな寄稿文もある
中国の国家メディア(英語)と中国の国内メディア(中国語)の間のミャンマーの状況に関する報告の違いは、中国政府の二重の政治的議題を反映しています。※彼の言われる通り日本の役割は重要だ。
しかし、現在の日本政府のスタンスはこれらに全く合致していない。
頑なに国民統一政府NUG側との接触を拒み、軍政フンタ側との接触を続ける偏った利権重視のスタンスは
これに反する。
日本の次の政権は真摯にNUG側と向きあわなければならない。各国は善良なミャンマー市民達に
どのように支援を行き渡らせるかに的を絞るべき。
弱い立場の方達の支援に的を絞る。
これは軍政を太らせない。
そのためにはNUG国民統一政府側との連携は不可欠!このまま軍事フンタ側の方針が変わらないなら
いずれ大国同士の調整と強度の圧力の実行が必要になるのではないか。8月中のCOVID-19感染爆発が軍事フンタ自身にブーメランのように跳ね返ってくるでしょう。
軍事フンタ代表
ミャンマー特使の選出でASEANは行き詰まった。
https://english.kyodonews.net/news/2021/07/fcb57b7aa094-focus-asean-deadlocked-in-selection-of-special-envoy-to-myanmar.html
ミャンマーの軍事指導者はASEAN特使の受け入れに同意する。
https://english.kyodonews.net/news/2021/08/dc90f0f517da-myanmars-military-leader-agrees-to-accept-asean-special-envoy.html
情報筋によると、インドネシアは、8/1日曜日にミャンマーの軍事フンタ指導者であるミン・アウン・ライン上級将軍によって公に承認された元外務副大臣兼ベテラン外交官であるタイの候補者ビラサクディ・フトラクルの選出に強く反対した。
しかし、ミャンマーの統治将軍との親密さを考えると、拘束された元指導者のアウンサンスーチーらとの対話を通じて、文民支配への復帰への道を描くことに成功する可能性は低いと見られている。
情報筋によると、8/2月曜日の会合で、インドネシアとシンガポールは、10人のASEAN加盟国の現在の議長国であるブルネイのエレバンを求めていた。
彼らは、交渉は困難であり、ほとんどのASEAN加盟国は最終的にエレバンに落ち着くと述べた。しかし、月曜日の夜の時点で、ミャンマー軍事フンタ外相はそのスタンスを公表していませんでした。
会談終了後、インドネシアのマルスディ外相は、ミャンマーの軍事フンタに対し、特使の任命を直ちに承認するよう要請した。
彼女は記者団に、会議が正式に終了したにもかかわらず、共同コミュニケの起草についてはまだ議論が続いていると語った。大臣は、ミャンマーの状況を議論するために4月下旬にインドネシアで開催された臨時ASEANサミットで合意された5つのポイントの実施について「大きな進展は見られなかった」と会議で嘆いたと述べた。
また、ASEAN外相が特使の派遣を含む5つのポイントの実施に関する具体的な措置を保証しない場合、インドネシアはミャンマー軍事フンタ指導のために問題をASEAN首脳会議に返還することを提案すると述べた。
5つの項目には、ASEANからの人道支援の受け入れ、暴力の即時停止、の必要性も含まれていました。
情報筋によると、提案された他の候補者には、元インドネシア外相のハッサン・ウィラジュダと、2000年代にミャンマーの国連特別特使であったマレーシア人のラザリ・イスマイルが含まれていた。
当初、特使は5月中旬に派遣されると考えられていたが、軍政はそのような代表団を受け入れる意欲をほとんど示さなかった。
ASEANグループは、ブルネイ、カンボジア、インドネシア、ラオス、マレーシア、ミャンマー、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナムです。
https://english.kyodonews.net/news/2021/08/b80da0ffb5a4-asean-foreign-ministers-meet-with-myanmar-special-envoy-on-agenda.html
【4月後半ブルネイ(議長国)での
ASEAN5項目合意とは】
◎暴力の即時停止
◎全ての当事者(関係者)による建設的な対話の開始
◎ASEANによる特使派遣
◎ASEANによる人道支援
◎ASEAN特使と全ての当事者(関係者)との会談
昨年の第13回日本メコン会議
https://www.mofa.go.jp/mofaj/s_sa/sea1/page6_000403.html
《第14回日本メコン外相会議》
日本とメコン諸国(タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、ミャンマー)との外相会議が今年は3月に予定されていたが、(コロナ禍なのでオンライン)2月の軍事クーデターにより延期されていた。
ところが、軍事フンタが臨時政府宣言した8/1の前の週から急にこの会議の開催に向けた動きが活発に、8/6(金)に
行われる予定である。7/30共同通信
(茂木敏充外相は金曜日、日本は来週、ミャンマー(軍事クーデター側)を含む東南アジアの5カ国とオンライン外相会議を開くと述べた。
茂木氏は記者会見で、「ミャンマー、南シナ海、北朝鮮などの地域問題に対する日本の姿勢を、コロナウイルスの反応に加えて伝えたい」と述べた。
外相は、8月6日の会合で、東南アジア諸国連合によるミャンマーへの特使の派遣について話し合い、
2月1日の軍事クーデターによって引き起こされた危機を和らげるのを助けると述べた。
日中韓首脳会談に先立ち、茂木氏は火曜日に、日本とASEAN、さらには地域団体と日本、中国、韓国のオンライン外相会議にも参加すると述べた。
茂木氏は水曜日、東アジアサミットオンライン外相会議に参加すると述べた。この会議には、ASEAN加盟国10名と、中国、日本、韓国、米国を含む他の8名が参加する。
8月6日には、米国、中国、韓国、北朝鮮などをグループ化するASEAN地域安全保障フォーラムのオンライン閣僚会議にも出席する予定です。
茂木氏はまた、東南アジアを自由で開かれたインド太平洋を確保するための礎石と呼び、日米が推進するイニシアチブで地域諸国との協力を深めることを誓った。
政府筋によると、日メコン会議は、日本が今年3月までに当初予定していた会議を延期していた。
ミャンマーの軍事フンタを承認するものと見なされることを恐れて。
しかし、6月に中国がミャンマーを含むASEAN加盟10カ国と会談した後、日本は会談を進めることを決定し、米国も7月14日にASEAN外相と実質的に会談したと述べた。
メコン諸国は、カンボジア、ラオス、ミャンマー、タイ、ベトナムです。外務省筋によると、メコン諸国はミャンマーの動向に関係なく、日本とのさらなる協力を求めているという。
日本は、インドと中国の2つの主要な地域大国の近くに位置するメコン地域と、南シナ海の重要な航路を地政学的に重要であると考えています。
北京は、近隣諸国が重複する主張をしている南シナ海での領土主張に関して、その主張を強めている。
ASEANは、メコン5か国に加えて、ブルネイ、インドネシア、フィリピン、マレーシア、シンガポールをグループ化しています。
https://english.kyodonews.net/news/2021/07/1924355ff35f-japan-to-hold-meeting-with-mekong-states-including-myanmar-next-week.html
問題はこの『第14回日本メコン会議』に軍事フンタ外相が参加する予定であることです。
新型コロナ等緊急支援に関してこの会議自体は重要です。
しかし、軍事フンタ側外相を加えて果たして支援が善良な市民に行くとはミャンマー市民なら誰もそうは思いません。
(急遽この日を選んだ理由として考えられることは、
1、軍事フンタが暫定政府宣言をする予定が直接日本の主要人物に届いた。
2、東アジアサミットEAS外相会議(日中韓米露ほか東アジア諸国)、
ASEAN地域安全保障フォーラム閣僚会議、等、ASEAN諸国含むオンライン会議が集中する日程なので次いでに行うほうが目立たない。
また、各の首脳、外相にとっても日程上都合がよい。
3、軍事フンタにとって参加できることは=相手国が政権として認めた)
反対に軍事フンタを日本政府は支援している。という認識になります。
現在軍事フンタが行っていることをしっかり見ていれば判りますね。先の米国ASEANではオンラインでNUG国民統一政府側と接触しています。英国もそうです。
オースティン米国防長官は7/27シンガポールでの講演で激しく軍事フンタを叱責しております。日本は6/8衆議院6/11参議員で全会一致で ミャンマーの軍事クーデターを認めない
決議をしました。この会議にこのメンバーで(タイもカンボジアも軍事フンタに近い)軍事フンタ側外相を入れて会議をする。
この事実が軍事フンタ側にしてみれば国際会議でのメンバー、
日本に認められたと宣伝利用されることは目にみえている。
(ASWAN会議は軍事フンタ側がインドネシアやマレーシア等に叱責される会議)
また、行われた場合、国会決議違反です!本当に善良なミャンマー市民達に支援を行き渡らせるのであればNUG国民統一政府側と接触しなければ意味がない。
〔結局、日本メコン外相会議 は予定通り行われた。〕
日経より、
茂木敏充外相は6日、タイやベトナム、ミャンマーなどメコン川流域5カ国の外相らとオンラインで協議した。ミャンマー情勢を巡り、東南アジア諸国連合(ASEAN)が派遣する特使を早期に受け入れるよう国軍側に求めた。
日本がミャンマー以外の4カ国に新型コロナウイルスのワクチン560万回分を供与したと報告した。各国は日本への謝意を伝えた。新型コロナの収束後を見据えてデジタル経済や脱炭素の進め方についても議論した。
〔求めただけ、会議に軍事フンタ側は出席できて万々歳!!!〕☆ではなぜ、
日本政府はこんなにミャンマー軍事フンタ側に寄り添うのか☆
理由が判る記事 以下ご参照
(4)日本ミャンマー協会「市民弾圧する軍」擁護の衝撃 8/2東洋経済オンライン
https://toyokeizai.net/articles/-/444646?display=b沈黙するキーマンはいま、何を思う
(3)国軍を擁護?日本ミャンマー協会会長の真意6/2東洋経済オンライン
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/27399国軍と日本企業の「親密な関係」
(2)クーデターで表面化する日本企業の人権リスク5/14東洋経済オンライン
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/26949インタビュー/上智大学教授・根本敬
20210902_1(ドラッグされました) 10
(1)ミャンマーの平和実現へ「国軍偏重外交」を見直せ5/12東洋経済オンライン
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/26943
20210902_1(ドラッグされました) 6
※PDFはメコンウォッチ、FoE Japan、資料国軍所有地に年2億円支払い/日本政府系銀行「JBIC」の融資プロジェクト | ミャンマー見殺し(1)
https://tansajp.org/investigativejournal/8282/
5000億円の借金帳消しで「利権」に道 | ミャンマー見殺し(2)
https://tansajp.org/investigativejournal/8306/
巨大工業団地ティラワ/日本ミャンマー協会会長の「剛腕」| ミャンマー 見殺し(3)
https://tansajp.org/investigativejournal/8341/
☆ニューズウィークが記事取り下げ/日本ミャンマー協会からの抗議受け(4) | Tansa
https://tansajp.org/investigativejournal/8380/
※この記事から永井浩氏の記事へ続いてください。20210902_1(ドラッグされました) 4
20210902_1(ドラッグされました) 5(日本ミャンマー協会から抗議を受けた)
☆ミャンマーベテラン記者:元毎日新聞
永井浩氏のミャンマー日本関連記事の一部☆
(ドー アウンサンスーチー著書(ビルマからの手紙)等の訳者でもある)日本の悪しきミャンマービジネスについて分かりやすく書かれています。
日本が強い制裁に踏み込まない理由も当の族議員の考え方もそれとなくわかると思います。
2011年ミャンマー民政移管後に時のテインセイン大統領と日本側日本ミャンマー協会会長渡邊氏との会談で始まった日本のミャンマービジネス。
その後、官民あげて積極的に関わっていくのだが…
「ミャンマーと日本の国民が真の交流と友好関係を発展させていくためには、黒い霧に隠れて甘い汁を吸ってきた連中を取り除かなくてはならない。
そうでないと、これまでの日本に対する私たちの好感度が損なわれていく恐れがあります。」
3月、既に損なわれつつあります!!→ 改、8月、既に損なわれています!!他にも有用な記事が幾つかあります。
リンク先から他の記事に入っていってください。
《1》日本ミャンマー協会会長が国軍司令官と会談へ 混迷する情勢に両国間の対応協議か
20210902_2(ドラッグされました) 4
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202105141313505
《2》クーデター直前にスーチー氏と国軍トップと会見した日本のODAビジネスの黒幕 狙いは何か?
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202104161022035
《3》進む自衛隊とミャンマー国軍の将官級交流 クーデター首謀者も3度来日、安倍首相と会談
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202105040833162
《4》利権がつなぐ日本とミャンマー「独自のパイプ」 ODAビジネスの黒幕と国軍トップがヤンゴン商業地開発で合弁事業
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202105070915255
また、現在のこの渡邊氏とその息子、と 軍事フンタ代表ミンアウンフライン上級大将 との関係が、
(テインセインが大統領になるずっと以前から渡邊テインセインの良好な関係(この頃の状況は理解可)
(現在の行為は日本の国益に反する!!!))外務省(丸山大使)の頭を飛び越し、この両者の中で事実上日本のミャンマービジネスが取り決められ、これにまつわる政権与党有力者
(麻生副総理、甘利、等)の後ろ盾もあり、
日本外務省、茂木外務大臣はODA停止をちらつかせるだけで、
日本として具体的な行動はなにもしない(出来ない)のである。
あと、彼らは民心というものを未だ理解できていないように見える。◎「私はこう思う。The US State Department should consider imposing sanctions ,to Mr. Watanabe.」
1988年以降のミャンマーの状況、及び国際環境と
2月の軍事クーデター前後〜の状況とでは
次元が全く違う。亡くなられた当時の中曽根康弘元総理や
後藤田正晴元官房長官が
今の渡邊氏の行いを観たらどう思われるであろうか。
きっと叱責されると思います!!また、彼がお会いしたことのある
キンニュン元首相は
きっと快く思っていないでしょう。共同通信6/28
”ミャンマー国軍と元日本郵政大臣が率いる会社とが連携した合弁会社”
https://english.kyodonews.net/news/2021/06/3087036896b3-firm-led-by-former-japan-minister-in-jv-linked-with-myanmar-military.htmlこれにまつわる6/29中日新聞記事
7/29 VOAより
軍は今夜マンダレーの有名なミャタウン僧院を襲撃し、僧侶を逮捕しました。https://burmese.voanews.com/a/myanmar-military-council-raided-a-famous-mya-taung-monastery-in-mandalay/5983519.html
◎カチン州〜サガイン管区、チン州では戦闘が激化している。
VOAより
地元のPDFの情報源によると、負傷して捕らえられたPDFメンバーの遺体は、サガイン地域のカンニで軍事評議会と地元のPDFが衝突した後に遺体が回収されました。
さらに、KIA(カチン独立軍)はShweKuの近くでフンタ軍車列を迎撃しました。
7月26日の夕方、軍事評議会と、カンニのZipinKwin村とNyaungPinThar村の近くの地元のPDFとの間で衝突が発生した。
地元PDFによると、7月27日に負傷者を捜索したところ、軍事評議会によって埋葬された9人の遺体と、9人の遺体および3人の埋葬されていない遺体が見つかった。
軍事評議会は、戦闘に関する公式情報をまだ発表していません。
地元住民によると、7月9日と10日、カニータウンシップ近くの村の近くのジャングルで女性を捕まえた後、15人の男性が軍事評議会によって虐殺された。
一方、KIAは、カチン州のバモー県を支援するために、シュエグで軍事評議会の軍車列を迎撃しました。KIAの情報責任者であるNawBu大佐は次のように述べています。
「戦闘ではありませんでした。迎撃して発砲しました。フンタ軍車列が横切ったときにのみ発砲しました。
発砲すると、軍事フンタ軍車列が反撃し、戦闘であることが判明しました。」
シュエグでは、軍事評議会に援助を運ぶ車列が頻繁に攻撃され、カサでは、カチン独立軍(KIA)とカチン人民防衛隊(PDF(KIA))が力を合わせて軍事評議会を攻撃しました。カチン州とサガイン管区の国境では、地元のPDFと軍事評議会軍との戦いが激化しています。
カチンの地元PDF、写真は関係者、6月下旬頃と思われる
:
7/29イラワジ紙から略説
サガイン管区ミンギンのレジスタンス兵は木曜日にイラワジに、町の南の村でのピューソーヒティーによる軍事フンタ攻撃を防ぐために水曜日に村を攻撃したと語った。
PDFによると、タウンビュ村での銃撃戦中に、57人のレジスタンスメンバーがピューソーヒティー(下方のこれについて載せた記事及び追記を参照してください。)に捕らえられた。彼らは戦術的罠にハマり、降伏すると騙され村内に入った時、周りを取り囲まれ捕らえられた。メンバー指導者は捕らえられ連行され、亡くなられた。
https://www.irrawaddy.com/news/burma/dozens-of-myanmar-resistance-fighters-seized-in-sagaing-region.html
◎インセイン刑務所内から聞こえてくる軍事フンタの独裁反対大合唱
2021年7月23日
今朝の午前8時ごろ、ヤンゴン地域のインセイン刑務所内から独裁反対の詠唱が聞こえた。
抗議は、インセイン刑務所の女性の拘留ブロックの別館で始まった。
このブロックは、民主化反対運動とCDM運動で逮捕された女性囚人を拘束します。
抗議は刑務所全体に広がり、何人かの刑務所スタッフが加わった。
現在、軍事フンタ軍は刑務所の敷地を襲撃し、刑務所職員のすべての武器を没収している。
これらのスタッフの何人かは、軍用車両が刑務所の敷地に入ったことを私たちに伝えました。
しかし、刑務所職員の武器を介入した軍事フンタ軍が没収したのち、
勾留中の女性市民7名が銃殺された模様です。
https://burmese.voanews.com/a/insein-prison-rioter-met-with-prison-authorities/5977187.html
COVID-19の状況は、2つの女性拘禁施設で悪化しているが、
刑務所当局は、特別監房と刑務所病院の人々にのみ治療を施している。
伝えられるところによると、囚人には医療が提供されておらず、
刑務所職員にもCOVID-19からの保護が与えられていないため、抗議行動が始まった。
これらの事件は、7月22日に
麻薬と窃盗のために投獄された1000人以上の囚人をインセイン刑務所から釈放する
(COVID-19の刑務所内蔓延のため悪い囚人を釈放して、)
(抗議活動で拘束された善良な市民を刑務所内の区画に閉じ込めCOVID-19の蔓延で殺す)
なんとも卑劣なヤンゴン刑務所長による発表に続くものです。
インセイン刑務所から聞こえてくる「勝利するぞ!」7/23(金)朝
◎COVID-19、クーデターと医療
すでに抑圧的な軍事独裁政権の手に苦しんでいるビルマの人々は、現在、COVID-19の第3の波に直面しています。クーデターの前、パンデミックの第1波と第2波の間、ボランティア、医療スタッフ、および文民政府の下で組織された文民が効果的な対応を調整していました。ビルマは東南アジアで最初にワクチンを接種した国の1つであり、パンデミック予防で国際的に認められました。
2月1日、軍事フンタが権力を掌握し、それ以来、国の経済、教育、健康の主要セクターはすべて悪化している。ビルマの人々はパンデミックに直面していますが、適切な医療サービスがありません。全国で検査施設が根絶されており、感染した民間人の実際の数を計算することは不可能です。
基礎薬が不足し、価格が高騰している。軍は必須医薬品と医薬品の輸入に厳しい制限を課しています。さらに、軍事フンタは病院や診療所を閉鎖し、民間人が救命用酸素を購入できないようにしています。このテロにより、全国で死者数が増加しています。これの多くは文書化されていません。軍事フンタは事実と数字を差し控えており、事件を隠蔽し、ほんのわずかな数の事件しか提示していない。
クーデターの最初から、そしてパンデミックのこの第3の波を通して、軍事フンタは逮捕し、逮捕状を発行し、影響を受けた民間人の治療を支援してきた医師、看護師、その他の医療専門家の家を襲撃しました。軍事フンタの暴力によって。
ビルマ政治囚支援協会(AAPP)によると、現在67人の医療専門家が拘留されており、600人近くが逮捕状を回避している。さらに、現在拘留されている9人を含む、221人の医学生がこのクーデターで逮捕されました。
クーデター以来、合計7人の医療従事者が軍事フンタによって殺害されました。
これは、AAPPによって確認された人数です。
一部の医療専門家はAAPPから連絡が取れず、彼らの状態は不明のままです。以下は、軍事フンタのテロの影響を受けた医療専門家のいくつかの事例です。
7月13日の夜、軍事フンタ軍がキャウ・テット博士の家を襲撃した。
彼はいわゆる警察と軍事政権の兵士に殴打され逮捕された。
彼は現在、マンダレー王宮の軍事基地尋問センターに拘留されており、尋問で拷問に直面している。
Kyaw Kyaw Thetは、Thiha Tin Tun博士と親しい友人でもあり、3月27日に軍事フンタに射殺されました。
彼はまた、慈善クリニックでボランティアをし、医学生に教えました。
7月16日、チャリティークリニックと病院で働いていたマンダレーの有名な外科医であるDr. Thet Htayは、患者の治療から帰る途中で拘束され、殴打されました
。Thet Htay博士は、軍事フンタの残忍な取り締まりで負傷した民間人の治療に積極的に取り組んできた医師です。
軍事フンタはまた、人質の家族や医療専門家の友人を連れて行っています。
6月10日、国家免疫プログラムの責任者であるHtar Htar Lin博士が、夫、息子、友人、および友人の娘とともに逮捕されました。
Htar Htar Linは、NLD政府の民間COVID-19ワクチン接種プログラムで重要な役割を果たしました。
拘留中に、彼女はCOVID-19に感染しました。
7月19日、殉教者の日、ラングーン管区のノースダゴンタウンシップで、パンデミックの影響を受けた人々を治療していることが知られている医師を呼んだ、COVID-19に苦しむ患者を装った軍事フンタ軍。
その後、彼らはこれらの医師を逮捕し、診療所を襲撃しました。
軍事フンタテロリストグループは合計5人の医療専門家を逮捕しました。
彼らは、オンラインで患者に医療アドバイスを提供する2人の医師と、民間人を治療するために地域社会に行く3人のボランティア医師でした。
これに加えて、診療所の襲撃中に、民間人から寄贈された5つの40リットル酸素タンク、18の15リットル酸素タンク、1セットの酸素装置、薬、およびすべての医師のPPE機器は、
それが違法な材料であると主張した軍事政権によって盗まれました。
国に関係なく、民間人は緊急の医療にアクセスできる必要があります。
軍事フンタは、COVID-19パンデミックを武器として使用して、人々をさらに拷問し、民間人の命を危険にさらしています。医療専門家の違法な逮捕、起訴、拷問は、明らかに大量虐殺であり、人道に対する罪です。医師、看護師、医学生を標的にすることは、国際法の重大な違反です。
国際社会は、テロリストグループによって組織的に拘留され、誘拐され、殺害されている医療従事者を保護するという特定の責任を負っています。
2016年国連安全保障理事会は2016年に決議2286を可決し、医療関係者、病院、および医薬品への攻撃を断固として非難し、「責任者が免責されないように行動し、裁判にかけられることを保証する州」を維持しました。
1949年のジュネーブ条約の第24条では、国際法の頂点にある医療関係者、
特に「負傷者や病人の輸送や治療、または病気の予防に関与する者は、あらゆる状況で尊重され保護されなければならない」と述べられています。
国連事務総長はまた、COVID-19の発生時に、「武力紛争を封鎖し、私たちの生活の真の戦いに集中する時が来た」との声明を発表しました。
停戦を開始する代わりに、軍事フンタは、民間人にさらなる暴力を与えるためのツールとして、方法論的にcovidを使用しています。
グローバルコミュニティは、ビルマの医療提供者を保護するために行われたこれらの公約を遵守し、人道に対するこれらの露骨な犯罪をもはや無視してはなりません。
ビルマ政治囚支援協会(AAPP)
写真は「殉教者の日」の前日の18日の抗議、東京や名古屋でもあった。
私もミャンマーの方々と共にあった。
下の2枚が名古屋
・
※日本の企業側からミャンマー人実習生に対し、
抗議活動に参加しないように企業側から通達があったと聞いている。
立場の弱い実習生達は
実際誰も行くことが出来なかった。
ミャンマーの方々は嘆いていた。
実に悲しい!
私、怒りが込み上げてきた。
日本は技能実習生制度いつまでやっているのか?
日本政府の人権軽視の姿勢には
呆れるばかり
7/19日、ミャンマー本国は『殉教者の日』でした。
BURMA’S MARTYR DAY 殉教者の日とは
1947年7月19日、ビルマの完全独立に向けイギリスとの激しい交渉や、何度にも渡る会議で国内対立の解消と国家統一への道を模索し続けていたアウンサン将軍と閣僚等が暗殺された日である。
本国ではこの日、大事な式典がある。
軍事フンタによって勾留中のドウ アウンサンスーチー国家顧問はこの日の式典に出席できなかった。
軍事フンタ代表ミンアウンフラインは出席しなかった。
宗教文化大臣のU KoKoが彼に代わって出席しました。
勾留中のドウ アウンサンスーチー国家顧問は、
以前の軍事政権時代、ソーマウン〜タンシェ1989年〜2010年の間に以前の軍事政権によって自宅軟禁されていた間、タンシェは殉教者の日の式典に彼女が出席することを許可していた。
昨年はフンタのミンアウンフラインもスーチー国家顧問も出席していた。
7/13イラワジ紙分析より 一部自分の追記
先週(7月第2週)、連邦政府(国民統一政府NUG)のシャン州戦線(SSFF)として知られる新たに結成されたシャンの政治組織と
シャンの政党であるシャン州解放党(SSLP)は、
軍事政権に反対する統一戦線を求め、和解と休戦を促した。
2つのライバルのシャン武装グループであるシャン州進歩党(SSPP)とシャン州復興評議会(RCSS)に対して。この新しい政治グループは、シャン州で団結を望んでいるシャンの若者と知識人で構成されていると報告されています。
シャン州地図、中国国境地帯中央部の薄い色違いの地域が あの ワ州!
「ミャンマーの柳生一族」の著者高野秀行氏の最初の著書「アヘン王国潜入記」(1995年)の舞台、
ゴールデントライアングルの ワ州!
彼らは(この新しい政治グループ)、民主主義、連邦主義、民族国家の権利、および自己決定権のために戦うと主張している。
このグループは7月7日に発表しました。
数日後の7月11日、2月のクーデター後に軍によって設立された統治機関である国家行政評議会(SAC)(軍事フンタ軍事評議会)に対して宣戦布告しました。
しかし、新たに結成されたシャングループは謎のままであり、それがどれだけの支援を命じているのかはまだ明らかではありません。一方、2つのライバルのシャン民族武装グループであるシャン州進歩党(SSPP)とシャン州復興評議会(RCSS)は、シャン州南部のキーティタウンシップの山岳地帯で1か月間領土問題をめぐって争っています。
戦争は何千人もの村人に彼らの家から逃げることを余儀なくさせました。影響力のあるシャン僧侶たちは紛争を止めようとしています。7月8日、シャン州復興評議会(RCSS)は、シャン州北部の紛争の平和的解決を求める声明を英語と中国語で発表した。
声明はまた、シャン州進歩党(SSPP)とタアン民族解放軍(TNLA)軍の合同部隊が、ナムトゥとキャウクメの町の軍事キャンプとRCSSの要塞を攻撃していると述べた。
「これらの長引く武力紛争は、地元住民に大きな困難を引き起こしている」と表明している。
しかし、最近と過去の武力衝突の背後で、シャンのアナリストは、強力なワ州連合軍(UWSA)がSSPPとTNLAの背後にいるのではないかと疑っています。
今回、シャンのオブザーバーによれば、SSPPとTNLAは重砲を配備しており、SSPPの支援に一部の民族部隊が関与していた可能性があることを示唆している。これに対し ワ州連合軍(UWSA)とタアン民族解放軍(TNLA)はどちらも、前者が後者を支持しているという主張を否定しています。
シャン州進歩党SSFFの書記長であるSaoPhaは、進行中の紛争についてコメントし、
RCSSとSSPPの間の武力衝突を見て不幸であるとイラワジに語り、
シャン族は2つのシャン族グループ間の和解を望んでいると述べた。
シャン州では、RCSSとSSPPが互いに長引く武力紛争に巻き込まれていると彼は述べた。
シャンは、ミャンマー軍を標的にするのではなく、
シャンの2つの武装グループが対立していることに不満を感じています。実際、これら2つの主要なシャン軍は、2016-17年以来、シャン州北部で互いに戦っています。
近年、シャン州復興評議会(RCSS)はその領土を中国と国境を接するシャン州北部に拡大しました。
特に、RCSSが2015年10月にテインセイン前大統領の政府と全国停戦協定(NCA)に署名して以来、この紛争は悪化している。
その後すぐに、その軍隊は北に拡大し、タアン民族解放軍TNLAとの衝突を引き起こした。
シャン州復興評議会RCSSはタイ北部の国境沿いに拠点を置いていますが、
その軍隊はその領土を中国と国境を接するシャン州中部と北部に拡大しています。一方、シャン州進歩党(SSPP)は、シャン州北部を拠点としています。
シャン州の2つのシャン反乱グループ(およびTNLAを含むいくつかの小さな民族軍が関与するグループ)間の武力衝突が、シャン州の中国の天然ガスパイプラインのルートに沿って起こったことに注目するのは興味深いことです。
将来的には、中国はこの地域に主要なインフラプロジェクト、鉄道、橋を建設することを計画しています。
2月のクーデター以来、軍(軍事フンタ評議会)がヤンゴンやその他の場所でクーデター反対の抗議を封じ込めようとして忙しいため、RCSSとSSPPの間の戦いが激化しています。国境検問所のある中国国境にあるシャン州北部のミューズタウンシップの町、マンリョエでは、今年、SSPPの司令官がRCSS軍にこの地域を離れるように命じた。
これは、中国がミャンマーと中国の国境を越えた経済協力ゾーン(CBECZ)の1つを建設することを計画している場所です。
軍事フンタは、CBECZの実施のために中央委員会のメンバーを再編成しました。
委員会は、実施方針の策定、ゾーンの管理、およびプロジェクトの準備を推進する上で主要な役割を果たすように設定されています。
中国ミャンマー経済回廊協定に基づき、
ミャンマーと中国の国境を越えた経済協力ゾーン(CBECZ)は 、
ミャンマーと中国の国境沿いのシャン州とカチン州に建設される予定です。中国の経済的利益とミャンマーのシャン州での今後の主要プロジェクトを保護するために、
中国はそれぞれの地域の地元の治安部隊、国際的な治安会社、活発な武装グループに大きく依存してきました。RCSSの指導者たちは、中国がSSPPを支持しているのではないかと疑っている。
少し前まで、RCSSの上級指導者たちは、ヤンゴンの中国大使館で中国当局者との会談を求めたと伝えられている。
議論の詳細は明らかにされなかったが、
シャン州北部における衝突と領土の支配に関する論争の的となった問題が議論された。中国と中国のビジネスマンがSSPPに賛成している場合、
これはある程度の計算を反映しています。
北京は、SSPPは、中国がシャン州北部で影響力を維持するのを支援する絶え間ない同盟国であると考えています。さらに重要なことに、SSPP指導部の重要人物の中には、現在は機能していないビルマ共産党の元メンバー、たとえばSaeHtin将軍がいます。中国人は彼ら(中国ビジネスマン)が彼ら(SSPP)を信頼できると感じています。
一部のシャンの政治アナリストは、
中国はタイとミャンマーを拠点とするRCSSが西側の資金による政治組織に近く、並行する国民統一政府(NUG)とも関係があると考えるかもしれないと述べています。
さらに、シャン武装レジスタンス運動の創設の文脈において、
中国はRCSSを歴史的に反共産主義者と見なしている。したがって、中国はRCSSを信頼できないと感じています。
《冒頭のシャンの新しい政治グループの調整力にかかっている。
結局のところRCSSとSSPPの和解がミャンマーを救う。
二つの争いは大国中国を利するだけ、
長期に及ぶならSSPPの助っ人にワ州連合軍の加勢という事態になれば中国の思う壺。
軍事フンタ評議会がバカすぎるからこうなる!かつてのキンニュン元首相元国軍大将 第一書記 国軍情報部
(ミャンマーの柳生宗矩)の調整力、真摯に向き合う姿勢のように
キンニュン元首相略歴:1939年生、フモーウン出身、ヤンゴン大学卒、軍事政権下にて情報局を主導、1988年の民主化運動後の国家秩序回復評議会、国家平和発展評議会(SPDC)軍事政権序列3位として第一書記(ビルマ共産党の影響力を削ぎ、各民族武装勢力との和平に努めその調整力はお見事!
さすがミャンマーの柳生宗矩! 真面目で謙虚で相手と真摯に向き合う)、
2003年8月〜首相を務める。この間、「ミャンマーの民主化に向けた7段階のロードマップ」を発表(タンシェ議長の承認の元 首相になる以前は時期尚早と止められていた)後、
2011年のテインセイン大統領による民政移行(タンシェ黙認)は概ねキンニュン氏が以前纏めたものに沿ってこの時行われた。 ただ、2008年憲法は彼の纏めたロードマップから大きく外れている。
)、
2004年10月政敵の罠(彼は自身の著書の中で直接氏名には触れなかった、ただ彼が逮捕された時のことを語った箇所から当時序列2位マウンエー上級副大将(副議長)だとはっきり判る)により失脚、同じく情報局の面々も職を解かれる(以後ミャンマーの情報当局は機能不全、今も同じ)禁錮44年を言い渡されるが、軍政トップタンシェ議長の計らいで自宅軟禁に収まる。
この時タンシェを騙したやつは本当の悪!
これ以後タンシェ独裁が始まる。
失脚の一因が「ミャンマーの民主化に向けた7段階のロードマップ」にあったと思われる。
良く思わない狭い見識の軍内部と内外の情勢把握している情報部を掌握する(また、当時、日本の緒方貞子氏、シンガポールのリークァンユー元首相、など米国人含む様々な国の要人と会見を重ね良き友人を得た)キンニュン氏とでは現状認識の大きな違いがあった。(マウンエーは正反対の存在、)
また、この時の自宅軟禁措置はタンシェが取れる唯一の策であったろう。
その後、2008年憲法が狭い見識の者たちによって出来上がるのである。
後にテインセインの行いを引退するタンシェが黙認するのはなんら不思議なことではないのである。
(これには様々な側面が思惑が重なりスムーズに行うことが出来た。詳しくは「アウンサンスーチー政権のミャンマー 第3章軍政内部から見た民政移管の深層 宇崎真」が参考になります。)
またテインセインを持ち上げすぎるのは良くない。
彼の治世の後半に本音が現れてくる。
左からマウンエー、タンシェ、テインセイン
立派なのはトゥラ(勇猛さを意味する称号)シュエマン氏。
キンニュン首相、大将失脚後の序列3位。
2012年アウンサンスーチーさんが国会に初登院した翌月スーチー氏と協力していく姿勢を示し(当時与党連邦発展団結党USDP党首)、スーチー政権下でも国会特別委員会の委員長を任せられスーチー氏盟友関係となる。
ただ、この人も2015年8月治安機関による「与党内クーデター」で、テインセインによってUSDP党首の座を追われることになった。
キンニュン氏は2012年1月、民政移管後のミャンマー政府から恩赦を受け自宅軟禁を解かれる。そして私のような者が彼の著書を読むことが出来るのである。
その中で、私の師匠ティンスェー大将の箇所、
“不可解なこと1点”に「私の下士官時代の師匠と私が一緒に任務にあたったこと、私に対して指導してくださったこと、師匠の生い立ちや私の経歴をあわせて書き記したこの本の出版が禁止されたことである。
経緯はこうだ。この本を書き終えた時、言論出版の自由がなかった時代であった。その後、言論出版の自由が認められ、出版社は様々な本を出版した。
そしてこの本を出版しようと考えていた際、ミャンマー警察情報部隊(SB)の副隊長がティンスェー大将の自宅を訪れ、「シュエモーウンの息子、キュンニュン(私の息子)」というタイトルの本を出版しないように禁止した。
誰が禁止したのかはわからない。
禁止命令を出した部署はわかっている。
それは内務省の傘下にある治安、諜報を担当する部署であった。
現在、あらゆる書籍が自由に出版されている。民間のジャーナル紙も自由に出版している。
しかし、国家の首相を努めた人物が著した書籍の発行を禁止するというのは、私自身の知恵が不足しているからと考えた。」そしてその本についてキンニュン氏は
「私の師匠は自分の尊厳を保持できる人物、誠実な人柄であったため、情報部隊の担当者が命令したことを重く受け入れ、その書籍を出版しないで1年間ほどが経過した。その書籍は国軍兵士のために知識を広げる本だ。
師匠と弟子の付き合い方、師匠から弟子が教わること、師匠が弟子に教えること、任務を遂行しながら知識を授かること、弟子は師匠から知識や技術を教わること、このために努力すること、などが書かれた書籍である。国家と国軍のために利益となる良い本と私は評価する。」と私が保持している彼の訳書に記されている。2014年〜2015頃の出来事と判る。
先の トゥラ(勇猛さを意味する称号)シュエマン氏の与党内失脚USDP党首の座を追われた時期と対応した部署が一致する。
さらに今年4月始めに軍事フンタを離脱した第99軽歩兵師団ヘイントーウー少佐の証言
「国軍は2015年からクーデターによる政権奪取を計画しており、用意周到に進められた。」
から、その前段階として国軍内での”正しい教え”を行き渡らせないよう(2020年の選挙結果が良くない場合、クーデターを行う際、こうした教えは大変不都合なものになる)出版禁止したと見ていい。
細かい事柄をチェックしていくといろいろな事が結びついてくる。
当然なぜ出版禁止になったかはこの2月クーデターでキンニュン氏も気付いた。
(キンニュン氏の知恵が不足していたわけではない)フンタ代表ミンアウンフラインがロシアから帰ってくる時No2によって拘束されたデマが流れたことがあった。
最近、レジスタンスと幾つかのPDFの訓練と装備が徐々に充実しつつあるように見える。
フンタ離脱将校。若者達を鍛えている。
こうした細かいことも点と点線と線が結びつく。
さあ、どうする?
・
・
・☆NUG国民統一政府の息のかかったこの新しい政治グループの調整力にミャンマーの命運がかかっている。》
※要は9/1~9/2のThe Irrawaddyイラワジ紙 のコラム
”連邦”だよ。
全ての多民族国家における永遠のテーマ少なくともシャンの幾つかのグループに現時点でそれを求めることは難しい。
先ずは、カチン、カヤー、カレン、
サガイン、チン、マグウェ、
中心部とその周辺。
この中を固める。
基盤を固めよ。
その後はかつてのキンニュン氏のように周到に、真摯に
シャンの幾つかと向き合う。
ラカインはもっと難しい。
コックスバザールの子供達が10年後どのような若者になっているか
ロヒンギャ族、バングラデシュと真摯に向き合わなければ
西門の難題は解決不能。ミャンマーにとって恐ろしい反動となる。
イラワジ紙から6/16
犠牲者と地元住民の親戚によると、
”ミャンマーの軍事フンタ軍”(軍事評議会(SACテロリスト))
がマグウェ管区のポークタウンシップで村に火を放った後、15日(火)に2人の高齢の民間人が死亡した。軍事政権は火曜日の午後、村の近くで民間の抵抗戦闘員(PDF)との銃撃戦中に多数の犠牲者を出した後、キンマ村の家を燃やした。
地元住民は6/15(火)の午前10時に民間の抵抗戦闘員(PDF)によって約70人の軍事フンタ軍がキンマ村の近くで待ち伏せされた後、7人から15人の軍事フンタ兵士が地雷によって殺されたと伝えられている。
民間人の抵抗(PDF)による死傷者は報告されていません。目撃者によると、その戦闘の2時間後、約150人の軍事フンタの援軍がキンマ村の家に火を放った。
村人の多くはすでに逃げていました。240戸の村のほぼ全体が火事で全焼しました。
逃亡した村人は言った、軍事フンタの兵士は食糧のために牛を殺した。
「私たちは、無実の民間人に対してさえ暴力を使用しているので、
全国のすべての人々が軍事フンタ軍に抵抗することを望んでいます」と地元住民は言いました。Pauk Townshipの民間抵抗戦闘員(PDF)は、以前5月31日にKinMa村の近くで国軍軍事フンタ軍(SACテロリスト)と衝突した。
https://www.irrawaddy.com/news/burma/senior-citizens-die-after-myanmar-junta-soldiers-set-village-on-fire.htmlキンマ村から離脱後情報提供者ツイート、SACテロリスト軍事フンタ軍によって村は全て焼き払われた後の映像16日夜(現地夕方)送信された。音声クリックしてください。
https://twitter.com/2021revtweets/status/1405117406314328067?s=27
その後、映像はAP通信、VOA(ボイスオブアメリカ)で使用されている。
※以下、以前の転載は『トピックス』のコーナーにあります。
トップページ一番上のメニュータブから『インフォメーション』→『トピックス』をクリックしてください。
ミャンマー連邦共和国挙国一致内閣 国民統一政府NUG WEBサイト立ち上がりました。ビルマ語英語切り替え
https://www.nugmyanmar.org/en/
有松絞会館前、ユーラシア食堂さらび店前にございます
『石碑』について。
ユーラシア食堂さらび店前にあります石碑はどのような石碑かご存知でしょうか・・
この石碑は 江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人で
幕末、明治維新から昭和の戦前期まで広く影響を与えた『日本外史』(幕末から明治にかけてもっとも多く読まれた歴史書)などの著者、頼山陽(らい さんよう)が1813年11月、有松 井桁屋に一泊することになった時に見た当時の有松の街、絞り染めのすばらしい衣、桶狭間の古戦場、を 頼山陽の感性によて見事に描かれた『過 有松邨』(詩)であります。さらび店内に詩のリーフあります。
歴史ファン必見!
とは言うものの戦前、戦中世代の方々には大変良く知られた人物なのですが、戦後世代以降にはほとんど知る人がいません。
簡単に補足しておきます。
頼山陽(らいさんよう)
1781〜1832 名は襄(のぼる)
主著『日本外史』は
幕末の尊王攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなった。
幕末から明治にかけてもっとも多く読まれた歴史書。
(外史とは民間による歴史書の意)伊藤博文(倒幕派)、近藤勇(佐幕派)の愛読書であったことでも知られる。
ただし江戸幕府の正当性を主張したとする山陽自身の説明があったにも関わらず、
この部分が世に出る事がなかったために幕末において「誤読」され続け、
山陽の随筆意図と無関係な尊王攘夷や
むしろ対極にある討幕論が生み出された。
また山陽の説明(「例言」第四則)がこの世に出た以降も討幕に否定的な歴史書であることが意図的に無視される。
そして明治以降は天皇制の権威付けに
昭和6年以降〜終戦までは思想統制に利用され、
こうした経緯があり戦後GHQの意向により意図的に知られなくなる。
山陽のことが戦後世代にあまり知られていないのは当然である。
では 日本外史の中でもっとも分かりやすい山陽の描写
『敵は本能寺にあり』これでおわかりですな・・・
店主の書評 『頼山陽と戦争国家』著 見延典子
没後の頼山陽の評価の変遷をまとめ上げた貴重な書。
巻末には貴重な関連資料集あり。
そもそも現代日本人のほとんどは頼山陽のことを知らないであろう。
昭和12〜3年生まれ以前の方々には ほぼ100%知られた存在。
何故なら『日本外史』の「桜井駅の訣別」は
当時の教育現場で読み継がれていた。
戦前の国定教科書である。
と云ったところで余程の昭和史通、又は「太平記」(楠正成だー)って分かる歴史通、
又は戦前世代にしか理解して頂けないのだが…
江戸時代後期の 歴史家、思想家、漢詩人
である頼山陽がまとめ上げた民間による日本の武家の歴史。
『日本外史』は平氏から徳川氏まで、
(この時代までの日本のこれまでの歴史をまとめ上げた 日本の歴史 なる書は一般人が目にすることはまだ無かった。
信長公記、甲陽軍鑑、太平記など各々の記録は沢山あるのだが)
これが『日本外史』で当時の老中首座 松平定信
に高く評価されるのだが、
世の中に知られるようになるのは
山陽の死後の話。
時が経ち、多方からこの「日本外史」が出版され(当時は著作権など無い)
幕末の大ベストセラー
(ある部分が削られた=誤読される)になる。=(尊皇攘夷に影響を与える)吉田松陰
幕末期、佐幕派(例として土佐藩主 山内容堂公、 天璋院篤姫、 新選組局長 近藤勇)にも
討幕派(例として吉田松陰 伊藤博文「日本政記」も)にも愛読される。
明治政府以降天皇の権威付けに利用させていく。
何が? どのように?
本書には山陽が『日本外史』『日本政記』(神武天皇に始まる歴代天皇の事績をまとめ上げた書)をまとめ上げるにあたって
山陽が調べた、熟読した山陽以前の過去の書物、参考にしたであろう多くの書物、
研究者が注目する当時の太平記ネタ本=こちらのほうから世に太平記が知れ渡る など紹介しつつ再確認しながら
その後、明治から大正、昭和と時が経つにつれ、どのように曲解されていったか…
※主に南北朝時代→太平記→日本外史と日本政記→南朝正統論→南北朝正潤問題→楠正成→桜井駅の訣別
(つくられる「忠臣」楠正成像)→湊川神社
山陽漢詩の書換え「七生滅賊」が国益に沿うように「七生報国」
頼山陽先生百年祭昭和6年
紹介しつつ再確認し、
昭和初期の事件、出来事と照らし合わせながら
時の政治によって右傾化する頼山陽をじんわりと浮かび上がらせる。
進む軍国化思想統制→頼山陽の神格化→反論
戦後 消える頼山陽=GHQ
また、序盤の頼山陽をとりまく政治世界
では「日本外史引用書目」(259の参考文献)の中で『大日本史』(水戸光圀が編纂に着手)
と『大日本史賛藪』(水戸黄門の格さんの論賛)についての記実あり、山陽に影響を与えたことが分かる。
また水戸藩が編纂をはじめた『大日本史』は完成するのが二百数十年後の1906年。
安積澹泊(格さん 御老公の御前である 頭が高い 控えおろう)の論賛が削除されたり
=後期水戸学派によってつくられた「大義名分論」
削除を企た理由=いわゆる国体の概念。→大正、昭和天皇も認めていた“天皇機関説”の排除。
[本書に出てくる天皇機関説から本書の外へ時計の針を進めると、終戦を境に復権した(ヨハンセン)吉田茂は“天皇機関説事件”で野に下った金森徳次郎に自らの内閣で憲法問題専門の国務大臣ポストに就いていただき帝国憲法改正案(日本側の案とGHQが示した案を元に新たな憲法改正案を練っていた)を“現実の憲法”=今の日本国憲法
に仕立て上げるためにコンビを組むのである。吉田茂は憲法作りに政治生命を懸けた。(幣原や吉田は日本占領に口を挟むことの出来る極東委員会の中には日本の天皇制に批判的な国々から糾弾を受ける可能性があり、(天皇の戦争責任、天皇制の廃止)天皇を守るには時間との戦いであった。マッカーサーと吉田の気が合ったのも大きい。(例、昭和天皇とマッカーサーの写真)) こうした吉田や金森をはじめ、現在の日本国憲法を練って闘った政治家、関係者(例 白洲次郎)、昭和天皇側近たちの動きを無視して「占領軍の作った憲法、押しつけ憲法」と批判して改正を声高にするのは皮相的で批判する側の見識の無さが見て取れる。吉田が権力の座から降りた後、改正論者(例 鳩山一郎、岸信介)の言に反射的に反発する。(「当時の社会党などが主張する護憲派とは異質の政治姿勢であり、系譜であるように思うのである」作家で昭和史研究の保阪正康氏) ]
話を戻すと、『大日本史』に多くの編者が関わったりしたことで、
原点である徳川光圀(御老公様 先の副将軍 水戸光圀公)
の考えから離れていった。
水戸学は 前期水戸学派 後期水戸学派
と分かれ 系列が異なる。
筆者曰く
水戸学の変質にあわせるように、
山陽も道連れにされた観がある。
初志を貫徹しるため山陽は多くの書物を読み、
人の意見に耳を傾けた。
批判もしたが、なるほどと思うものは貪欲に吸収しようとした。
その上で自分なりの独自の視点を身につけ、思考を深めた。
山陽が書いたものが誰かの踏襲であったり
踏襲と踏襲が掛け合わさったりしているように思えるのも、だから必然である。
山陽や著作をありのままに受け入れて読むところから、
山陽の再評価の道は開けていくであろう。
※旧ソ連によるシベリア抑留と旧日本軍によるシベリア出兵
による犠牲者追悼墓参を長年されてこられました横山周導氏率いる
NPO法人『ロシアとの友好・親善をすすめる会』が
会員の高齢化に伴う会員数減少により継続的な法人としての運営が困難となり
2020年7月、解散された。
非常に残念な思いです。
厚生労働省(ロシア連邦政府等から提供された抑留者関係資料一覧)
https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/itiran/index.html