こんにちは
愛知県の「緊急事態宣言」は延長になりました。~6/20日まで。
引き続き感染対策をしっかりしていきましょう。また、新型コロナワクチン接種のスムーズな進捗を期待しております。引き続き時間短縮営業と人数制限をしております。
愛知県内の感染状況次第で
お休み日に変更があります。
下方のお休みのお知らせ、又はお休みカレンダー(トップページ一番上まで戻してタップを押して下へ スクロール)で随時ご確認ください。
お昼のランチは 御来店がお決まりのお客様は御予約をお願い致します。
人数制限を強化しておりますので席が空いていても入店をお断りする場合がございます。
座席は御予約のお客様を優先いたします。
※尚、新型コロナウイルス感染状況に伴い集客の見込みの無い状況下においては早めに閉店する日時もあります。
ご来店がお決まりの日時がございましたら御予約のほう宜しくお願い致します。
《暫くの間、営業時間は》
ランチ
平日11:30~14:30迄、
土曜、日曜日は11:30~15:00迄
☆夜のディナーは全日要予約と致します。☆
緊急事態宣言期間中は
17:00~19:30迄
※終日アルコールの提供を禁止。(宣言解除まで)
コロナウイルス感染対策の観点から引き続き当面の間3蜜を防ぐために、
人数制限と時間短縮営業 を併用しながら営業して行きます。
当店は私の側(厨房)お客様側(窓)と両側から換気を行えますので風通しも大変良いです。
アクリル板で遮断する他店よりも換気は非常に良いと思います。
アルコールは入口ドア開けてすぐ右側に手をかざすだけの自動アルコールスプレーと押すタイプの両方が置いてあります。
各自アルコール消毒をお願い致します。
尚、感染者増による状況の変化により営業時間等、変更する場合がございます。
(事前のご予約には対応いたします。)
メニューは多少限定したメニューとなります。 (食材管理、維持の面から)
☆夜のディナーにつきましては事前に要予約⭐︎
緊急事態宣言発令中は17:00~19:30迄
お休み日以外の日時で受付ております。
緊急事態宣言中はアルコールの提供は出来ませんのでご了承ください。
同時間帯1組 1グループ4名様迄 (☆例外として5人家族、6人家族はOK☆)
※コロナウイルス収束迄の間は人数制限あり。徐々に緩和。
御予約、ご要望等はお電話で承ります。ホームページメールフォームからメールでも結構です。
※(お休み日は電話に出られない時間帯がございます。
必要事項ご記入の上、ホームページメールフォームからメールでお願い致します。)※スマートフォンのお客様はトップページのいちばん最初のところまで戻してから
左上のメニュータブをクリックして下さい。
営業日カレンダー、各種メニュー、御予約メール、Instagram等はタブから出てきます。
『ジョージア(グルジア)コース』新設しました。
※詳しくはメニュータブからコースメニューをクリックしてください。
また、少しずつですがアラカルトのジョージア(グルジア)料理も改良していきます。
家族でのお食事、仲間内でのパーティー、送別会等には
アラカルトメニューにあります 『タバカ』や『米燻嫩鶏』をメニューに取り入れたお任せコースも良いかと思います。
また単品アラカルトとして、条件付きでお持ち帰りも可です。
(例として大皿持参、お車でお越しの事前に御予約を頂きましたお客様)
お昼のランチは
5/29(土)〜7月上旬までは
『初夏のジョージア(グルジア)&ロシア ウクライナ』ランチです。
緊急事態宣言中は コロナ感染防止、食材管理の面から5/28(金)迄休業することにしました。
ユーラシア食堂さらび では夕方以降の会食承っております。
旧東海道のひっそりとしたプライベートな空間で
美味しい中国料理、ロシア料理、中央アジアの料理をお楽しみ下さい。
小さな食堂ですが造り手と接することのできるお店です。お一人様から20名様位迄で対応しております。
平日は要予約、週末は一応フリーにも対応しておりますが、事前のご予約が望ましいです。
特殊な場所に位置しておりますので集客の見込みの無い日には早めに閉める事があります。また、小さなお店ですのでせっかくお越し頂いてもご予約のお客様でいっぱいで入店出来ない場合もございます。
ご予約の程よろしくお願い致します。
料理内容等はアラカルトから選んで頂いても結構です。
☆お勧めは お客様のご要望と御予算をお聞きした上で内容を決める
『おまかせコース』プランです。
普段お出ししていない料理は こちらの『おまかせコース』プランからです。
ご要望等お気軽にご相談ください。
ご友人 ご家族でのお食事、ご宴会等、ランチ時間での婦人会等、お待ちしております。
ワイン造り8000年の歴史を持つワイン発祥の地ジョージア(グルジア)
8000年前からの造り方《タンクや樽ではなく、“クヴェヴリ(甕)”》
で造られた自然派の造り手たち、
伝統製法継承者たちの
『ジョージア(グルジア)ナチュラルワイン』
も入荷しています。
【クヴェヴリ は世界文化遺産です】
※新入荷の自然派ジョージアワインがリストに加わりました。
(リストの変更、更新を行いました。)ドリンクメニューからご確認ください。
ジョージア(グルジア)自然派の造り手によるクヴェヴリ醸造ナチュラルワインを
メインに取り揃えておりますが、
昨年から 一部、ジョージアワインメーカー(自然派ではない)工場生産ワインも
白と赤1〜2種ご用意しております。
私のお勧めは“自然派”ですが、
よく知られた地区の名を冠するメーカー生産ワインも少しだけ用意しようと思いました。
白、ツィナンダリ
赤、キンズマラウリ
どちらも飲み易く工場生産ワインですからお手頃価格です。
東京のロシア料理店より断然お値打ちです。
また、この春から『南ロシア 黒海沿岸のワイン』も入荷。
旧ソ連圏ではジョージア(グルジア)を筆頭にすぐ隣のアルメニア、黒海沿岸のウクライナ、南ロシアも古くからのワインの産地です。
詳しくはドリンクメニューでご確認ください。
※一番上まで戻してから左側のタブからドリンクメニューをクリック
お客様のご予算、料理の希望内容等、柔軟に対応させて頂きます。
前日、当日のご予約でご利用いただけるコースもございます。
ご依頼、ご相談は店主までお気軽にどうぞ。
詳しくはコースメニューでご確認ください。
コースメニュー2020〜2021(ドラッグされました)『☆旧ソ連圏関連映画』
日露共同制作映画『ハチとパルマの物語』
人が犬を選ぶんじゃない! 犬が人を選ぶんだ!
日露の名犬が少年の孤独な心を救う
物語は1977年旧ソ連時代、実際にモスクワ ヴヌーコヴォ国際空港(現在3つの内で一番古い空港)であった「忠犬パルマ」のエピソードをもとに初のドラマ化した作品です。
ソ連時代には3本ドキュメンタリとなっているようです。
私は一足先に観させて頂きましたが上映中に3回涙を流してしまいました。こんなことは久しぶりです。マスクがベタベタになってしまいました。2重マスクにしていくと良いかとおもいます。
“パルマの物語”は素直に良いです。
今日3/23時点でロシアNo1になったそうです。日本は宣伝のお金がロシアの 20分の1 程しか無いそうです。
検疫検査を通過出来ず空港に置き去りにされたシェパードのパルマ。いつの日か飼い主が迎えに来ることを信じて、今日もパルマは滑走路の傍らでじっと待ち続ける・・・
2年もの間モスクワのヴヌーコヴォ国際空港で待ち続け、今も多くの人に語り継がれる感動の実話“パルマの物語”
3/18〜ロシア全土
5/28(金)〜名古屋地区はミッドランドスクエアシネマ
☆トピック☆
《ビルマ(ミャンマー)情勢》
私はビルマ市民の“市民不服従運動CDM”(非暴力不服従運動インドのガンジーに由来)
を支持しsupport致します。
国民統一政府NUGを支持します。
『お前らは俺たちを地中に埋めようとしている でも 俺たちは種であることを知らない』
5/9日国軍による激しい拷問の末、10日お亡くなりになられたビルマの詩人ケトティ氏の詩。
彼の詩を持って抵抗の写真は誇り高きミャンマー市民より
『彼らは頭を撃ち抜く だが革命は心の中にあることを知らない』
抵抗のミャンマーの詩人ケトティ氏の死
https://www.rfa.org/english/news/myanmar/poet-05112021185408.html
写真は5/2日 店主撮影
◎日ごとに更新されます。
国軍軍事フンタは抗議者の取り締まりに関連して、一部の死者の遺体は、白昼のうちに軍と警察によって持ち去られた。こうした映像は紹介する価値があります。
DVBビルマの声(ノルウェー政府の資金援助あり)のジャーナリスト
AungKyawと Mizzimaの特派員ZawZawの2名のジャーナリストに
6/2日、軍事行政評議会は2年の懲役を宣告した。
3月、軍事政権はDVBを含む5つの報道機関を閉鎖している。
https://burmese.voanews.com/a/myeik-journalists-sentences/5913622.html
☆ビルマの難民に対する不十分な人道支援(UNHCR)
国連人道問題調整事務所(OCHA)は、ビルマ南東部の民族地域(カレン州、カヤー州)での戦闘により85,000人以上が避難したと述べています。特にカヤー州では、5月末までに約37,000人の難民がおり、ビルマの紛争で荒廃した地域で100万人を支援するために約2億7000万$が必要でしたが、OCHAのビルマによれば、まだ15%しか受け入れられていません。木曜日(5月27日)に発表された人道的状況報告。
4月と5月のビルマ南東部での戦闘により、約46,000人が避難しましたが、カヤー州では5月末までに37,000人に増加しました。南東部以外の地域では、チン州では、軍用ヘリコプターと大砲が攻撃した5月12日に戦闘が激化して以来、ミンダットで何千人もの人々が避難を余儀なくされています。
チン州では他の村々からインド側ミゾラム州へ越境避難民20,000人を超えています。合計30,000人を超えていると思われます。シャン州北部では、ビルマ軍と民族武装グループ間、および民族武装グループ間の戦闘により、5月に約2,800人が家を失い、年初以降の避難民の総数は8,400人となった。
4月24日から5月24日まで、カチン州の難民の数は増加しなかったが、軍とカチン独立軍(KIA)との戦闘により、3月以降約8,500人が家を追われた。
ラカイン州では、これ以上避難民はいないが、以前の戦闘により、ムラウク・ユーやシットウェなどのキャンプに難民が下痢に苦しんでいる。
難民のために約2億7000万ドルの人道援助が要求されたが、これまでに受け取ったのはわずか15パーセントであると述べた。
NUG国民統一政府によるとラカイン州ロヒンギャ族難民を除く
クーデタ後に発生した避難民の合計は12万人を超えている。※1948年のビルマ独立以降度重なる少数民族弾圧、1988年8888民主化運動鎮圧等、これまでに夥しい数の国内外避難民がこの国では発生(100万人をゆうに超える)、
苦難に満ちた歴史。
皮肉にも今回のクーデター以後の国軍による市民への弾圧は
ビルマ族市民が少数民族のこれまでの苦難を理解する上で大いに役に立った。
ミャンマーの90~98%の人々は国民統一政府NUGを支持している。早期に国際社会はNUGを承認し、支援すべき。
承認第一号はチェコ政府でした。https://burmese.voanews.com/a/myanmar-refugee-aid-ocha-/5907167.html
『ロヒンギャ族問題に関するNUG国民統一政府側の立場』
CRPH国際代表のHtinLin AungはVOAに、NUG政府はロヒンギャに対して強力な政策を持っていることを米国の議員に説明することができたと語った。先週、ワシントンDCに本拠を置くウィルソンセンターは、NUG国民統一政府と米国の上級議員を迎えました。NUGは一流の政治家との会談で、ロヒンギャの本国送還と市民権プログラムが最終決定されると述べた。完全な詳細が提供されます。4月、一部の米国議員は、ロヒンギャ危機に関する明確な政策がないことでNUGを批判した。5/22土曜日(日本時間23日 日曜日)にワシントンD.C.で開催された集会で講演した連邦議会代表委員会(CRPH)の国際代表であるHtin Lin Aungは、先週の米国議員へのインタビューで、NUGの立場を説明できたと説明した。
「私たちがウィルソンセンターで最後に会ったとき、私たちはビルマについて知っていました。ビルマに興味のあるビルマ人が参加しました。上院議員が出席します。以前ビルマで奉仕したデレク・ミッチェルのような人々が出席した。それらはすべて、非常に強力なNUGを非常にサポートしています。私はますます興味を持つようになりました。彼らはもっとやらなければならないと言っています。ですから、過去のロヒンギャに対する彼らの疑惑は払拭されると私は信じています。」
5/20木曜日にワシントンD.C.のウィルソンセンターが主催したビルマでのビデオ会議に出席したHtinLin Aungは、ロヒンギャ危機に関する国際基準に従って、ビルマに関心のある米国のトップ政治家や議員に対処する立場にあるとNUGに語った。
NUGは、ロヒンギャを再定住させ、帰還者の市民権を確保することを目的としています。したがって、ロヒンギャコミュニティのリーダーは、私たちはすべての市民社会組織や活動家と協力して、持続可能な政策を策定します。」
しかし、Htin Lin Aungは会談で米国のトップ政治家に、
軍が国境移民を処理している限りロヒンギャ問題は解決できないと警告した。Htin Lin Aungはまた、現在の軍事指導者は、ラングーンを含む都市でロヒンギャに対して武力を行使するという同じ戦術に訴え、軍の残虐行為を目撃した抗議者は国境の状況を理解するようになったと述べた。
「軍隊が彼らの故郷で定期的にそのような残虐行為を犯していることを誰もが見ている」と彼は言った。私はそれを同情と団結の全国的な目覚めとさえ呼ぶでしょう。」
挙国一致内閣の外相であるDawZin Mar Aungも、ウィルソンセンターでのビデオ会議に参加しました。
1990年の選挙で勝利し、現在は米国に住んでいる元国会議員のティント・スエ博士は、ロヒンギャ危機に関する政策に関するNUGの声明について意見を述べました。
「ご存知のように、私たちの国で軍事フンタが2回目に政権を握って以来、私たちは権力のために多くのことを行ってきました」と彼は言いました。
“ロヒンギャ”という名前の使用の否か から、権力のために。
宗教的になります。ですから、問題が大きくなるにつれて、分別を超えてしまう人もいます。
しかし、これを克服しなくては。
「NUGは、ビルマに対する見方がまったく異なるビルマのロヒンギャ問題を克服するという問題を解決するために大胆な一歩を踏み出したと思います。」
主なものは国連、EU(英国含む)、米国です。
☆NUG挙国一致内閣は、ロヒンギャという用語を公式に使用しています。☆軍事評議会の長であるミン アウン ライン上級将軍は、
クーデターでの最初の演説で、難民はバングラデシュに送還されると述べたが、
☆ロヒンギャという用語は使用しなかった。
☆ロヒンギャ問題はなぜ解決が難しいのか
根本敬 / 東南アジア近現代史2015年11月
「アラカン王国期からのムスリム居住者を基盤に
英領期のベンガルからの流入移民がその上に重なり、
さらにアジア・太平洋戦争(第二次世界大戦)後の旧東パキスタンからの新規流入移民層が形成され、
三重の層からなるムスリムが
ラカイン州北西部に。
そしていかなる理由で“ロヒンギャ アイデンティティ”を主張するようになっていったのか・・・1948年独立後のビルマ政府は興味深いことに一時期ではあるがロヒンギャを自国の民族として受け入れようとしていた事実がある。(今では忘れ去られている)
1962年にビルマ国軍がクーデターで ウーヌ首相から権力を奪うまでは・・・
http://synodos.jp/international/15523補足資料:Aling-Yaungビルマ語で『光』No.33
2007/4月 ビルマ市民フォーラム
http://www.burmainfo.org/files/e3_000120.pdf
日本の超党派議員連盟
「ミャンマーの民主化を支援する議員連盟主催
ミャンマー国民統一政府NUGとの第一回オンライン会議5/26(水)」
本来なら日本政府が直接すべきである。
今に至って頑なに接触を拒む姿勢は
(クーデター後は軍政側との接触に限られている。)
過去を遡ってじっくり検証してみると判ってきます。
※以下 過去の公開情報記事を少しずつ添付しておきます。
:特別リポート:急接近する日本とミャンマー、投資加速の舞台裏 | Reuters 2012年10月
https://www.reuters.com/article/tk0523615-special-report-japan-myanmar-idJPTYE89404Y20121005
☆記者:永井浩氏のミャンマー日本関連記事の一部☆
日本の悪しきミャンマービジネスについて分かりやすく書かれています。
他にも有用な記事が幾つかあります。リンク先から他の記事に入っていってください。
「ミャンマーと日本の国民が真の交流と友好関係を発展させていくためには、黒い霧に隠れて甘い汁を吸ってきた連中を取り除かなくてはならない。そうでないと、これまでの日本に対する私たちの好感度が損なわれていく恐れがあります。」既に損なわれつつあります!!
《1》
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202105141313505
《2》
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202104161022035
《3》
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202105040833162
《4》
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202105070915255
お膳立てが出来たようです。
写真はVOAより 5/22(日本時間23日)ワシントンD.C.ホワイトハウス前。
アメリカ各州に在住のビルマ人達が集まりNUG国民統一政府を承認するよう訴える。
直に合衆国大統領が示してくれるであろう。
神の御加護を!
国軍軍事評議会は
ミャンマーの幾つかの州で戦闘状態です。
散発的に或いは継続的に
市民による大規模な抗議活動は危険な為、
現在はゲリラ的に継続的に行われている。
ラングーン(ヤンゴン)では5月下旬は爆発が毎日あったがこのところ小康状態。
一方、国軍軍事フンタの弾圧、虐殺から
市民は自らの命を守る為に急速に武装化しつつある。
抗議活動の若者達はタイ国境周辺の訓練キャンプを辿って武器を手に街に戻る。
小火器も何処からとなく調達されています。
内戦の恐れではなく、4月中旬〜内戦なのです!
ついに地元住民に撮影される国軍軍事評議会のMi-35攻撃ヘリ
地元住民によると戦闘が続くカヤー州ディモソDemosoで5/31日、
ロイコー〜ディモソなどの町へ輸送に重要だった2つの橋が国軍軍事評議会によって破壊されました。
重砲撃とMi-35ガンシップ ヘリによって破壊されました。
夜間の銃撃の映像はKNDFカレーニン人民防衛軍による国軍軍事評議会への射撃5/31日
カヤー州ディモソ
右下のメーホーンソーンは国境を越えたタイ。
国境沿いのタイ側には 建国以来の国軍による少数民族弾圧によりカレン、カレーニンの人達がいくつかの難民キャンプに暮らす。
また、今回のクーデター後の戦闘でこの地域でも多くの避難民が山中に逃げている。また国境を越えた人もいる。
内戦のダメージを最小限にするためには
国際社会が一刻も早くNUG政府を公式に承認し、
軍政中枢から権力を奪うことです。
1、監禁されている多数の軍政にとっての人質を解放する作戦すること。
国軍から兵士や将校が離反しやすい状況を作りだす。
2、国軍軍事フンタからの離反者を加速させること。
3、ミンアウンフライン以下国軍幹部を捉え裁きにかけること。
4、国軍を改編、連邦軍に編成、有力武装組織も編成に組み入れる。(ワ州除く)
24日、軍事評議会により軟禁中のアウンサンスーチー国家顧問は
法廷の弁護士キンマウンザウ氏と30分の面会を許可された。
ネピドーで6回、ラングーンで1回の起訴に直面している。
拘束中の指導者アウンサンスーチーは“未知の場所に移され”
外界から隔離されていると彼女の弁護士の一人は言った。
75歳の彼女は、2月1日に軍がクーデターを起こして以来、自宅軟禁されていました。
最近まで、彼女はネピドーのザブティリ郡区のマイアナンボンサ通りにある自宅に拘留されていたことが知られていました。
しかし、Daw Aung San SuuKyiの弁護士UKhin Maung Zawは、
日曜日の夜に「別の場所に移送されたばかりなので、どこに拘留されているのかわからない」
と言ったと述べた。「彼女は新聞、テレビ、ラジオにアクセスできないと言いました。彼女は[抗議関連の]死傷者を含め、国で何が起こっているのか見当がつかない」と弁護士はVOAに語った。
しかし、追放された国家顧問は、Pyidaungsu Hluttaw(CRPH)と国民統一政府(NUG)を代表する委員会を知っていると述べた。NUGは、Daw Aung San Suu Kyiの国民民主連盟(NLD)およびその他の民族代表から選出された議員によって形成された並行政府であり、CRPHは、クーデター後にNLD議員によって形成された議会委員会です。どちらも政権によって非合法化されています。
「彼女は、彼らが彼女のコメントを求めたときに警察を通じて彼らについて知ったと言った」と彼女の名前はNUGリストに載っていたので、U Khin MaungZawはイラワジ紙に語った。「しかし、彼女はそれらについての完全な知識を持っていないので、彼女は自らの意思表示をしなかった」と彼は言いました。
月曜日に、彼女はネピドーの特別裁判所に初めて直接出廷した。
次回の予定は6/7(月)です。
軍事評議会側も慎重になってきたようです。
https://www.irrawaddy.com/news/burma/detained-myanmar-leader-daw-aung-san-suu-kyi-moved-kept-in-isolation.html
国軍軍事フンタが弾圧(空爆、重砲撃、含む)戦闘状態州=チン州、カチン州、カレン州、カヤー州、シャン州、ザガイン管区。
ミャンマーの革命歌、抵抗唄
5/14日以降、チン州ミンダットを追われたチン州ミンダット難民は逃げる。
近くの村に避難している人もいれば山の中に隠れた人もいる。
電話を含む全ての通信手段は国軍軍事フンタにより遮断された。
そして、チン州の幾つかの村へ戦闘は拡大し、戦闘が起こるたびに
チン州の幾つかの村々からインド国境へ逃げる!
5/20日インド北部のミゾラム州へ!国境を越える。
既に15000人以上の難民がそこにいます。☆
以下☆チン州ミンダットの危機☆から順に追っていってください。チン州ミンダットの風景 写真はgoogleから
☆米国はミャンマー軍事独裁政権に対し追加の制裁を行う。
米国は5/17日『国家行政評議会(SAC)軍事評議会から任命された軍政府閣僚』を含む新たに16名を制裁に追加した。https://burmese.voanews.com/a/us-sanctions-on-myanmar/5893562.html
5/16日RFA(ラジオフリーアジア ビルマ(アメリカの資金援助あり))
”ミンダットは国軍軍事フンタの手に落ちた”5/15日https://www.rfa.org/english/news/myanmar/chin-siege-05162021150137.html
☆チン州ミンダットの危機☆
◎ここからは少し解説しましょう。
チン州ミンタット村での一連の衝突は終わった。5/15日に村は国軍の手に落ちた。現在はやつらが村を押さえている。
4月上旬、国軍の市民への弾圧、狙撃、暴力が激しい中、チン州出身の若者達はミャンマー中央の各都市部から東のカレン族のカレン民族同盟(KNU)の訓練キャンプに集まっていた。基礎的な軍事訓練を受けて、下旬には密かにチン州に戻りチン州国防軍(CDF)(国民防衛隊発足に合わせ)を発足させる。
チン州国防軍といえど装備は貧弱! 猟銃である。自家製銃、中国製自動小銃が数える程度、地雷、RPG数える程、あとはナイフと素手だ。
4月下旬〜で20名以上の国軍兵士を待ち伏せ攻撃でやっつける。ミンダットでは停戦交渉、2週間ほど続いたが国軍側が拘束した6名の釈放を拒否、交渉決裂5/12日。
13日このミンダットでも国軍とチン州ミンダット国防軍との間で戦闘状態となる。国軍第274大隊は元々このミンダット近郊に駐屯する部隊だ。外側から密かに、やつらの輸送トラック等6台ほどを待ち伏せ攻撃でこの時はやっつけた。
しかし、14日になると空からの度重なるやつらの空爆 JF-17戦闘機(中国パキスタン共同開発)と地上からの砲撃、上空にMi-35(Mi-24ハインド攻撃ヘリの改良型)が居ては歯が立たない。CDF側は村内での戦闘は民に犠牲者が多数出るので、ひとまず村の外へ退却(元々村の外側に潜伏区している)することにした。これでひとまず収まるかと思い気や、やつらは村民の民家に攻撃を加えたのである。村民4人死亡数十人が重症。村民少女のレイプ被害も報告されている。15日昼前には完全にミンダットは国軍軍事評議会側に落ちた。
そして住民の住居に入り、略奪を行なっている。
写真はチン州地元メディア命がけの撮影後、
(チン州はネットに加え電話回線、全ての通信手段が国軍軍事フンタによって遮断中)
送信可能場所からツイート(WiFi、スマートフォン等モバイルは送信出来ない 国軍によって遮断中
有線回線は時間によってまちまち?衛星アンテナは市民からは全て国軍により撤去されました。他国の大使館くらいか)
米国務省関係者の22日ツイート。
撮影日時は16~17日と私の推測。その後、
17日の情報によると軍は水道管を破壊しているようだ。
イラストは15日のミンダット。国務省関係者作。
(イラストから分かることは彼はCDF兵士の脇に隠れてそっと観察、写真など取れる状況に無い、上空にMi-35がいてはいつ発見されるかわからんし(発見=死)状況をつぶさに観察していたと思われる。彼が伝えたかったことはよくわかるし、その心も。)
裏を返せば本国にきちんと報告されているという証拠。
イラスト、センス良し。
国軍軍事フンタに連行される市民:
:
:
市民がミャンマー イラワジー紙に伝えた。
市民は深刻な水不足に陥っている。
チン州での状況をイギリスBBCは伝えきれていないとのこと。記者が潜入できずにいる。
(チン州地元民ネットワークがない。アメリカはある。)
〔補足:イギリスは植民地時代のこともあり、そのことがマイナスに作用している。
一方、アメリカは19世紀のアメリカ人によるキリスト教(プロテスタント)(カトリック)布教とささやかな援助
、地元民のアメリカへの移民(避難民)により独自のネットワークが存在〕
ミンダットからインド国境までは遠く、行手に険しい山脈や谷が存在し、女性や子供には無理!
地元住民の話ではミンダットから逃亡した住民は病院に行くことができないため、
亡くなった方が多数いることを情報提供者は伝えている。
山間の森の中に難民キャンプを即席で作っているとのことだ。
複数のIDFキャンプに8000人以上が避難してきている。
NUG(国民統一政府)が人道援助を送ろうとしていると伝えている。
21日のVORによるとミンダット難民は遠く離れた 幾つかの村の教会 に5つの一時的な国内避難民キャンプが設置された、しかし外部からの支援の手は何もない。
人々の安全のために国際社会がNUG国民統一政府側と調整することを望んでいます。
仮設キャンプの関係者はVOAに次のように語った。
「数分後国連はそこにあると言われたが、WFPはすべてそこにあった」と彼は言った。
尋ねることは誰もが求めていることです。しかし、これまでのところ何も提供されていません。
私たちが望んでいる主なことは食料支援ではありません。
彼らに正直に言うと、私たちは米も油も必要ありません。
一日に二、三食食べなくても害はありません。
「私たちは、国連、国際社会 が問題の両側で
NUG国民統一政府を理解し統一政府と交渉することを望んでいます!」https://burmese.voanews.com/a/mindat-local-people-fleeing-/5898495.html
その後、19日以降、国軍軍事フンタがチン州の幾つかの地区でCDF(チン州国防軍)を攻撃した。その後も昼夜とも継続中。
チン州のファラムとカレーミョの間で21日、軍事評議会とファラム地方防衛軍(CDF)の間で戦闘が勃発した。
ファラムCDFの1人のメンバーが殺され、もう1人が軍によって殺されたと彼らは言った。
チン州で戦闘が勃発した。軍隊はミンジャンのいくつかの村に駐留している。
南のカレン州では4月初旬夜間の空爆にロシア製Yak-130軽攻撃機が使用されたが低高度での作戦には優れているので現在進行形のチン州各地での作戦に使用されている可能性高い。
2019年に6機引き渡されている。合計12機が契約済み。また、チン州以外の他の複数の州で戦闘が再開、始まった。
KNPPによると、カレンニー民族進歩党(KNPP)と国軍軍事フンタは、5月20日にカヤー州のバラケとパサウンの町の間で2回衝突した。国軍軍事フォンタがKNPP地域の青年訓練キャンプに侵入しようとしたとき、戦闘はほぼ2年ぶりに勃発した。VOAのナイクンインレポート。
カレンニー民族進歩党(KNPP)と、NCA停戦協定にまだ署名していない国軍軍事フンタとの間の戦闘は、
これまでほぼ2年間停止していました。
5月20日に国軍の侵入により再開された。
https://burmese.voanews.com/a/between-knpp-and-burmese-army-firing-kayah/5899216.html
☆今月初めの激しい戦闘の後、1週間静かだったカチン州MomaukTownshipのMyoThit。
20日9時から10時の間に、カチン独立軍(KIA)によると国軍とシハット村の近くのカチン独立軍(KIA)の間で戦闘が勃発した。
以後再び戦闘が激しくなってきている。https://burmese.voanews.com/a/bomb-blast-and-firing-kachin-shan/5899502.html
写真中央辺りの線がインド、ミャンマー国境線。国境線の内側がインド ミゾラム州、
外側右はミャンマー チン州
チン州ではその後、軍事フンタがCDF側を厳しく追い立てた為、
5/20日、チン州からの幾つかの村の人々はインド北部国境のミゾラム州へ越境、
長い国境沿のそれぞれ5箇所から越境、
地元のミゾ族が助けている。(双方キリスト教徒)
チン州難民はミゾラムにそこに既に15000人以上!
インド政府はコロナウイルス感染悪化のため国境閉鎖していますが
州政府はインド国境警備隊は動かずできる限り助けたい。
だがニューデリーの方針がまだ変わっていない。
インド全土の援助グループは現在COVID-19の深刻な流行に直面しており、援助グループがミゾラムに到着することを困難にしています。
ミゾラムでの流行はチン州難民がコロナ感染にかかる危険にさらされている。
ミゾラムは現在5/20日、ロックダウンです。
国連UNHCR、アメリカ国務省にミゾラムに来てもらいたいがロックダウンでインド政府の許可が出ない。
ミゾラムの地元グループが難民支援を行なったいる。
地元のミゾ族が助けている。アメリカ国務省はミンダットの状況を監視している。
インド国境を越えて逃げる難民の問題について関連機関と協力している。
懸念はインド政府の政策です。
インド政府によって保護される必要があります。
バチカン カトリック教徒と協議をしています。
彼らをビルマに送り返さないように助けを求めています。インド ミゾラム州
20日、在アメリカ メリーランド州 チン州協会の事務局長であるZoTurn Hmung氏は、VOAに語った。
”何万人もの難民がインド国境を越えミゾラムに逃げる”
https://burmese.voanews.com/a/chin-mizoram-local-flee-/5897482.html
※チン州はほとんどの方がキリスト教徒です。
現状を最も把握しているのは米国のようだ。
米国は在ミャンマー米国人に対し、19日、国外退去を促した。
一方、チン州のハカでは16日CDFハカチーム側が国軍補給輸送車両部隊を待ち伏せ攻撃、トラック4台炎上10台の車両が地雷で葬り去られた。国軍側は5/2日までにハカの60名以上の抗議市民を拘束、拷問を行っている模様。CDF側は釈放を強く求めてきたがついに衝突。
5/20日現在、ハカでの戦闘は続いている。
写真はミャンマー チン州ハカ googleから
☆チン州→インド ミゾラム州避難民その後
ミゾラムには2万人の避難民がいます!
5/26日VOAより
ミゾラムに本拠を置くチン人権団体によると、現在のチン州での戦闘により、インドのミゾラムに逃げる人々の数が増加し、合計で約20,000人になりました。မင်းတပ်、ファラム Ko Ye Monは、多くの人々がTedimなどの都市からインドに逃げているというRangoonの話をします。
ミゾラムに本拠を置くチン市民社会グループによると、チン州の軍と地元民兵との間の最近の戦闘の結果として、何万人もの人々がチン州と国境を接するインドのミゾラムに逃げた。Chin Civil SocietyOrganizationの責任者であるSalaiKhin Maungは、ビルマでの軍事クーデター後に数千人がミゾラムに逃げたが、4月以来数万人がチン州での戦闘から逃げたと述べた。
「最初は、それが起こる前に約2,000でした」と彼は言いました。したがって、戦闘前には、約14人のMPがいました。それで、戦いの後、大衆は村から村へ逃げました。ミゾラム州政府のデータによると、15,400です。リストに載っていない人がたくさんいるかもしれません。」
ミゾラムに本拠を置くチン人権団体(CHRO)の副所長であるSalai Zar Op Linは、難民の多くは若者であるとVOAに語った。
現在、ミゾラムには少なくとも20,000人がいます。抑圧が大きければ大きいほど、人々はより恐れ、逃げる。新しい到着者は家族と多くの若者です。」
チン州と国境を接するミゾラムへの初期の避難民には、チン州のファラムが含まれます。
いくつかの地元の報道機関によると、サガイン管区のテディムとカレミョには多くの武装警察官がいます。Chin Human Rights Organization(CHRO)は、合計で約500人の武装警察官がいると述べています。
インド、 一部のチングループは、マニプール(チン州の北のインドの州 旧日本軍のインパール作戦のインパールがある州)に逃げる人々がいるかもしれないと言いますが、その側の情報を入手するのは困難です。
しかし、ほとんどの人はビルマと500キロ以上国境を接するミゾラムに避難を求めています。
ビルマ難民を受け入れるため。インドの中央政府とミゾラム州政府は、それを受け入れるかどうかについて意見が分かれています。しかし、ミゾラム州政府はビルマからの難民を受け入れ続けています。
「彼らにインド中央政府は難民を受け入れないように指示した」と彼は言った。
彼らの州政府、ミゾラムまたはマニプールは、いかなる不正行為も否定しました。
私たちは避難民を受け入れるために、やって来る人々を止めません。
そして、サポートを提供します。
これまでのところ、インドの中央政府は指令を撤回していません。」
(新型コロナウイルスの酷い感染状況が続いている為ロックダウンしている為。)
Chin Human Rights Organization(CHRO)は次のように述べています。
州の首相であるZoramthamgaは中央政府に手紙を送り、軍事後のビルマでの暴力から逃れたビルマの人々にミゾラムでの亡命を求めるよう促した。
インドのミゾラムにあるビルマのコミュニティは、この病気のための食糧と避難所の提供にも取り組んでいる社会集団によって支援されています。
チン州のミンダットでの戦闘により、ミンダットの住民の約90パーセントが逃亡を余儀なくされました。
山に隠れている人もいます。いくつかの近くの都市; 彼らはキリスト教の教会によって設立された一時的な難民キャンプに避難しています。
ミンダ郡区の仮設キャンプにいる7,000人以上の難民。
キャンプ関係者によると、サミタウンシップの仮設キャンプには3,000人以上が到着したという。
「ミンダットには少なくとも1つはあると思う」と彼は言った。
高齢者は取り残されます。全人口の10パーセントしか残っていないと思います。
より多くの人々が北部のインドに行くでしょう。」
ミンダットから逃れた国内避難民(IDP)の中には、近親者の家に避難している人もいます。
☆ミャンマー空軍長官の
ロシアヘリコプターショー訪問 ☆
アナリストは、これは現在の航空作戦の増加に関連している可能性があると述べています。マウンマウンキョウ将軍、空軍最高司令官 彼は5月20日から22日までロシアで開催される最新のヘリコプターショーに参加しています。違いと効果は何ですか?
VOAウィンミンは、2年間ロシアに留学した元ミャンマー陸軍将校に尋ねた。空軍兵器も研究している戦術戦略研究グループの事務局長であるNaingSwe Oo博士は、ロシアのヘリコプターショーの重要性について説明した。
「このHeliRussia2021は、ロシアで最大のロシアのヘリコプターショーです」と彼は言いました。 これは、ロシアのヘリコプター会社のグループが主催する国際的なヘリコプターショーです。
2007年からこれを行っています。」それで、ヘリコプターショーに参加することの重要性について国軍の指導者から尋ねられたとき、NaingSweOo博士は言いました
「軍の指導者が定期的に国際的な武器ショーやフォーラムに出席するのを見てきました」と彼は言いました。陸軍フォーラム 彼らがロシアで働くとき、彼らは通常来ます。以前、私はフランスのEUROSATORYアームショーに行っていました。また、中国やイスラエルなどの国での武器ショーにも行きました。基本的に、世界の兵器システムは日々変化しています。それに追いつくためには、そのような展示会に行って自分の目で確かめなければなりません。」Naing Swe Oo博士に、ロシアンヘリコプターズショーがミャンマー空軍にとってどれほど特別であるかを尋ねました。
「主に私たちの国では、私たちの国で使用されているヘリコプターのほとんどすべてがロシア製です」と彼は言いました。同様に、飛行機はロシアで作られています。
そしてロシアと私たちは戦略的パートナーです。
したがって、先に進んでアップグレードする場合は、既存のプラットフォーム(Mi-35)をアップグレードすることをお勧めします。そのため、ヘリコプターをアップグレードし、それに基づいて新しいヘリコプターを購入する必要があります。」Naing Swe Oo博士は、このショーは、ビルマでの軍事クーデター以来進行中の戦闘で、
より多くの空軍力とより多くのヘリコプターを使用することに関連している可能性があると付け加えた。
「攻撃ヘリコプターを見ると、Mi-35ヘリコプターを使用していることがわかります」と彼は言いました。
したがって、ある時点で、将来的にMi-28NEのような攻撃ヘリコプターを使用できるかどうかを判断する必要があります。
そう Mi-38などの追加の輸送ヘリコプターが必要に応じて拡張される可能性もあります。
ショーはショーです。また、わが国の軍隊の将来についても事前に検討する必要があります。
「買うかどうかは定かではない」と語った。Naing Swe Oo博士に、空軍の最高司令官および軍事評議会のメンバーとしての現在のロシア訪問の政治的重要性について質問した。
「政治的な対話はあまりないと思う」と彼は言った。
しかし、機会があれば、ミャンマーの現在の動向について関係当局に同じことを言いたいと思います。」Naing Swe Oo博士に、軍事クーデター後に外国投資がビルマに参入することが困難であった時期に、ロシアの投資を誘致する可能性について質問した。
「一方で、それは投資への誘いではないと思います。
また、ロシアやミャンマーは経済投資が少ない。これには、国の水と土地の状況が含まれます。
ですから、それほど投資はないと思います。」Naing Swe Oo博士に、今回のロシア訪問の重大な影響について質問した。
「これは、既存の戦略的関係をさらに発展させるための旅だと思う」と彼は語った。
私たちの国は中国とインドのような大国の間に位置しており、アジア太平洋地域では戦略的に重要だからです。
そのため、ロシアは再び世界大国になるのに苦労しています。
「したがって、わが国との戦略的提携を構築することは、部分的にはこの地域におけるロシアの成長力を示すことであり、ロシアとミャンマーの関係は強化されると思います。」
実際、ロシアで最も影響力のある国防相と副大臣は、クーデターの直前にビルマ軍当局者と緊密な会談を行ている。
国連は現在、ビルマに国際的な武器禁輸を課すために取り組んでいます。
アナリストは、この旅行は重要だと言います。
https://burmese.voanews.com/a/myanmar-general-attending-russia-heli-2021-/5898933.html
:
VOA(ボイスオブアメリカ ビルマ(アメリカの資金援助あり))5/14日によると
カチン州バーモ県では継続的に戦闘が続いている。国軍による空爆も継続的につづいている。
KIA(カチン独立軍)の情報担当官であるNawBu大佐は、MansiTownshipのMadanYang村とMomaukTownshipのManda村で戦闘が続いていると述べた。
これとは別ですが、CB BANKは預金引き出しが止まったようです。
https://burmese.voanews.com/a/military-council-use-air-power-to-kia/5890750.html
RFA(ラジオフリーアジア ビルマ(アメリカの資金援助あり))5/12日によると
ミャンマーの銀行システムは崩壊寸前です。
中央銀行の支払いが少なくなり、ATMの現金が不足するため、銀行は現在、引き出し可能な金額に制限を設けています。
https://www.rfa.org/english/news/myanmar/banking-05122021183455.html
RFA(ラジオフリーアジア ビルマ(アメリカの資金援助あり))5/12日
”国軍離脱将校とのインタビュー”
アウンシンピョ大尉は、ラオスとタイの国境に近いシャン州東部の町、ターレイに駐屯していたミャンマー軍のタッマドゥで忠実な兵士でした。軍が2月1日に国の民主的に選出された政府を追放したとき、Aung SinPhyoはそれをTatmadaw(国軍、軍事独裁)の指導者による権力の掌握と見なした。クーデター反対運動の暴力的な抑圧に関するニュース報道を見た後、彼は国軍を離脱することを決心した。
クーデター当時、辛くも逮捕を逃れ秘密の拠点で活動するミャンマー連邦議会議員で構成された影の内閣グループであるPyidaungsuHluttaw ”CRPH”連邦議会代表委員会のある反国軍勢力管理下にある地域の秘密の場所に
彼は彼の妻と共に逃げました。ワシントンDCを拠点とするRFAミャンマーサービスの記者キンマウンソエは、アウンシンピョに電話インタビューを行いました。
彼は、保護することを誓ったCRPH連邦議会代表委員会に、NUG国民統一政府に奉仕し続けると述べました。インタビューは明確にするために編集されました。
以下勝手に翻訳してください。
https://www.rfa.org/english/news/myanmar/defect-05122021153149.html
G7外相は軍事評議会に警告する。
VOA(ボイスオブアメリカ ビルマ(アメリカの資金援助あり))によると5/5英国でのG7外相会談で
日本はG7外相が発表した共同声明に署名し、武器弾薬その他の軍事装備の移転と技術協力の禁止をする43番目の国となった。日本による発表を英国のビルマキャンペーンは歓迎した。
https://burmese.voanews.com/a/g7-myanmar-military-coup/5882348.html
遅すぎるようやく始めの一歩
次は制裁のための法整備急げ!
”ミャンマー国軍と提携のある日本企業は10社あります。”
VOAによると日本の共同通信の調査により
ミャンマー国軍と直接提携している会社。
日本を拠点とする共同通信は、ミャンマー軍の収益を上げるために活動している企業と10社の日本企業が接触していると報じています。
共同通信の調査は、日本の国営企業や民間企業がミャンマー国軍の人権侵害を支援しているという懸念の中で行われている。米国と欧州連合(英国含む)は、ミャンマー軍との関係の断絶を求めています。
ビルマは何十年にもわたって軍事政権下にあり、2011年の改革開始以来、約400社の日本企業がビルマに投資してきました。
それ以来、ビルマ(ミャンマー)政府への日本の援助が再開されました。しかし、ビルマ(ミャンマー)に投資する日本企業は、外国投資に限定されている地元企業と協力するという要件を遵守しなければならない一方で、一部の日本企業は、トップの軍事指導者が所有する企業と協力しています。
例としては、ミャンマービールカンパニーリミテッドとマンダレービバレッジリミテッドの合弁会社である日本のキリンビールの合弁事業があります。
ビルマでの軍事クーデターに続いて、キルギスタンはミャンマー経済公社との合弁事業の終了を発表しました。
共同通信はまた、日本企業が軍所有の土地に年間200万ドル近くをリースしたと報じた。
https://burmese.voanews.com/a/japan-company-invest-myanmar-junta/5883780.html
ミャンマー国軍による2/1日の軍事クーデターについて、基礎知識を得るのに最適な解説があります。
(4月中旬頃までの情勢に基づく) 現在はより深刻。
※YouTubeでご覧くださいをタップしてからYouTubeを開いているご視聴ください。
この動画はこのページのままでは視聴出来ません。
※根本氏の解説は分かりやすいです。基本となります。
ミャンマー国軍の論理と行動について、またアウンサンスーチー氏の苦悩も正しく認識してください。
参考:ミンアウンフライン国軍軍政トップ 隣国タイとの関係について語る2018年2月
Ties forged in ‘brotherhood’: Min Aung Hlaing talks Burma-Thai relations
ミャンマーの天然資源エネルギー、パイプライン
太い線が石油と天然ガスのパイプライン。中東からタンカーで運ばれ積み替えて中国の昆明まで送るのだ。
ミャンマーの地方図
◎4月中旬頃から国軍からの離反者が段階的に出ているようです。
国民防衛隊の創設、
☆国軍を解体して連邦軍創設☆への動きは満更でもないようです。
ミャンマー国軍第99軽歩兵師団の補給隊隊長へイントーウー少佐の離脱。
クーデターの計画は前回の総選挙2015年で国軍の政党が大敗した頃から周到に計画されたものであることを証言。
国軍幹部は権力を失うことを恐れているとも。
少佐の妹は国軍側から脅迫を受けるが、一切を断る。
少佐の家族はドバイへ密かに事前に脱出していた。よってHein少佐は行動を起こすことが可能となった。
離脱のためには家族を事前に安全な場所へ脱出させなければならない。
少数民族武装戦線と連携する国民防衛隊にはこれまで医師や教師、公務員、会社員、大学生、様々な人々が戦列に加わり、そしてプロフェッショナルな国軍からの離脱将校と兵士が加わり訓練キャンプの先頭に。
情報提供者より
《ASEAN会議に失望
ミャンマー全土に広がる革命の声
祖国か死か!
最後まで闘う》
有識者の予想、思い込みに反して最近あちこちで国軍苦戦しているようです。
ヘリの撃墜(FN-6中国製携帯式対空ミサイルによる)5/3日カチン州カチン独立軍KIAによるもの。
(中国はミャンマー国軍に、また国軍と対立する北部(中国と直接国境を接する少数民族)武装勢力の双方に長年武器を供与)
なぜならばそれが中国にとって都合が良いからです。大国の匙加減!わかるかな?
中国にしてみれば何方が政権を取っても中国の権益、エネルギー安全保障が守られればそれで良いのです。
ですからちゃんと昆明からのガス石油パイプライン(中東からのガス石油をチャオピューでタンカーから積み替えてパイプラインで昆明まで直!)と中国系企業のそこそこの安全を保障すれば『春の革命』は成されるでしょう。
また誤爆もあるようだ(誤爆とされる、実際は計画的 機体はそのままカチン側へ)5/6日カチン州モーマウ軍区で展開中の国軍部隊を間違って?空爆、国軍兵士死傷者110名以上(死者30〜重傷者80〜)壊滅的打撃とのこと5/7カチン独立軍発表 情報提供者より。
:
少数民族武装勢力図
日本人拘束者も14日ANA機で帰国。
この事により日本は現在強いカードを持つに至りました。
日本政府は今のうちに国軍関係者に制裁及びODA(政府開発援助)の完全なる停止をしたほうがよいでしょう。
ヤンゴンーマンダレー間の縦の線も分かるんだけど今は全てを停止して民政復帰してからにするべきだと思う。
5/14日 日本外務省発表の 国連世界食糧計画(WFP)を通じた直接食糧支援(クーデターの影響により悪化するヤンゴンの貧困層へ)の為の400万ドルの緊急無償資金協力は評価できる。
https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2019/3e91532b8090ffff.html
参考資料:ジェトロ政策提言研究「中国の対ミャンマー政策」
https://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Reports/Seisaku/120802_kudo.html
離脱将校からの証言によると国軍総兵力35万人の内、実際に国軍として動く勢力は8万人程。
離脱のための条件さえ整えば(家族の安全)そう遠くない時期に形勢逆転することになる。
こちらの8万人も生きるか死ぬか必死でしょう。また残忍な人達。
ネックは人質、日本人で拘束されていた方も国軍の人質だったと考えてよいでしょう。
5/13ミャンマー国営テレビは最高意思決定機関「国家統治評議会」(軍事評議会)は日本人ジャーナリストの北角裕樹さんについて「釈放する」と伝えた。「北角裕樹はミャンマーの法律に違反したが、ミャンマーと日本の将来の関係を考慮して、釈放される」と報じた。14日帰国。
事態は刻々と変化。
キリンやフジタもでてくる22分前〜
日本は今のままではいずれ『春の革命』がなされた後、ビルマ市民から相手にされなくなってしまいます。
※今はODAの完全停止。国軍幹部への制裁。どこかの段階で英国と同時に国民統一政府NUGの承認を日本政府に求む。
民政復帰したら市民からの期待と信頼がまだあれば再契約できるだろうし、失えば爪弾き。
イメージこれ以上悪くしないで頂きたい。
軟禁中のアウンサンスーチー国家顧問の法廷出廷が24日にあるようだが心配。
おそらく全く外部の状況を知ることが出来ない状況下。出廷後即座に長期刑?14年の刑期が伝えられている。
ウィンミン大統領、ナイピドー評議会議長のミョーアウン氏の二人も特別裁判にかけられる。
事態は非常に流動的になってきました。
日本外交の手腕の見せ所。
良い結果になることを期待しております。
ただここでダメなら国軍幹部、国軍系企業には制裁を加えないと日本はまずいことになるでしょう。
茂木外務大臣が12日ODA全面停止にふれたことは幸いです。
https://www.rfa.org/english/news/myanmar/court-appearance-05102021171543.html
補足:ミャンマーに関して日本の報道だけ見ていると現状、現在進行形が全く判らないです。
日本政府外務省、日本財団、笹川氏、日本ミャンマー協会 これらのブレーンは国軍健在のまだ比較的安定していた2020年秋頃まではこれで双方と“パイプ”があったと思います。これまでの努力も大変なものがあったと思います。
笹川氏が仲介に奔走されている(→いた。→いる。ジャーナリスト釈放の為に奔走!
https://myanmarjapon.com/newsdigest/2021/05/14-32139.php
)ことも存じておりますが、今現在進行形の事柄はステージが全く違うのです。
仲介とは双方が必要と判断した時機能します。双方必要としなくなった2020年11月の時点で客観的に事の次第を観るべきでした。
しかしここに来て国軍側もかなり追い込まれている様子です。
国軍側から必要とされていることも5/13の日本人ジャーナリスト釈放発表からも読み取れます。
私はこの件に関しては他者と違いあまり穿った見方はしていません。
笹川氏の尽力もありこの釈放により、
在ミャンマー日本大使、日本外務省は現在強いカードを持っています。ODA完全ストップ。
あらゆる交渉が可能です。
事態は非常に流動的になってきました。
これらは国軍側とのやりとりですが、CRPH連邦議会代表委員会、NUG国民統一政府側との接触は出来ているのでしょうか?
中国は接触しているようです。
5/12~5/15にかけてかなり日本側と国軍側ミンアウンライン直々に接触しているようでした。
(引き際の模索? お金? まだでしょう。タイの軍政府が動かないと。)
14日にミンアウンラインと面会した日本ミャンマー協会会長をかなり疑っている日本や海外の記者は多いと聞く。
私も疑っている。
15日ヤンゴンの米国大使館は民間人に対する軍事兵器の使用停止を軍政に対して求めた。
日本は早めに CRPH連邦議会代表委員会、NUG国民統一政府と接触し、早めのを承認するべき。
24日どう動くかによるが、
21日の茂木外務大臣の発言から観るに期待しております。
今必要とされるパイプは貴方々がお住まいの地域にもそれを知っている沢山の在日ミャンマーの方々がおられます。
ミャンマー市民の連帯感はかつてないものです。ミャンマー国内、多数の国内民族、在外のミャンマーの人々
在日のミャンマーの人達。彼ら彼女達の『これまでの軍事独裁を我々世代で終わらせ真の連邦国家(アメリカ型の連邦国家)建設(ワ州は難しい、現状維持)への道は軍事独裁には止められません。
そう遠くない時期に、国軍が自壊してゆくのです。
ミャンマー市民の流された血(これまでの他民族弾圧、ロヒンギャ族虐殺含む)により。
ミャンマー連邦共和国挙国一致内閣 国民統一政府NUG WEBサイト立ち上がりました。ビルマ語英語切り替え
https://www.nugmyanmar.org/en/
:
忠告:良識のある国会議員の皆様へ
今月のForeign Affairs に現下の国際システムの問題点を指摘している非常に良い論文が転載されている。
専門家レベルの方は原文のままで良いが、そうでなければ日本語翻訳要約Foreign Affairs Reportで正しく理解すべき。
論文原文タイトル「The Illiberal Tide: Why the International Order Is Tilting Toward Autocracy」
日本語タイトルは「権威主義へ傾斜する国際システム 追い込まれたリベラルな秩序」
この論文に現下の”ミャンマー問題の本質”が写し出されている。
この論文を理解すると、
これまで日本側がミャンマーで行ってきた経済協力?
(実際には軍政の指導者たちの体制を固める助けになっている。)
(貿易合意や投資合意同様に、開発援助は、民衆に物質的恩恵をもたらすことで、現地政府が政治的正統性を確保するのを助ける。
しかも政治腐敗にまみれた指導者たちにとって、開発援助は私腹を肥やしたり、自らの利益供与ネットワークに賄賂を送ったりして、不法な利益を得る機会を与えてくれる。)
正に日本のミャンマーに対するこれまでのODA(政府開発援助)や幾つかの大規模開発プロジェクトは
国軍系企業との合弁、仲介が常であった。
こうした背景から米国、英国などはミャンマービジネスに関与しないように近年舵をきったのだ。
そこへ《ミャンマー開発後発組日本》はのこのこと進出していったのである。
わかっていてもやめられない おいしいビジネス
官民こぞって
”最後のフロンティア”
と名打って宣伝していました。
ここを正しく理解していないと、ミャンマー問題では情報共有はおろか
ミャンマービジネスは革命後、
日本に代わり韓国
(今では何も動かない日本政府より韓国の人気が高まってきている)
が台頭するであろう。
映画『海辺の彼女たち』アンコール上映
6/19(土)〜6/25(金)まで
今池の“名古屋シネマテーク”15:45〜
有松絞会館前、ユーラシア食堂さらび店前にございます
『石碑』について。
ユーラシア食堂さらび店前にあります石碑はどのような石碑かご存知でしょうか・・
この石碑は 江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人で
幕末、明治維新から昭和の戦前期まで広く影響を与えた『日本外史』(幕末から明治にかけてもっとも多く読まれた歴史書)などの著者、頼山陽(らい さんよう)が1813年11月、有松 井桁屋に一泊することになった時に見た当時の有松の街、絞り染めのすばらしい衣、桶狭間の古戦場、を 頼山陽の感性によて見事に描かれた『過 有松邨』(詩)であります。さらび店内に詩のリーフあります。
歴史ファン必見!
とは言うものの戦前、戦中世代の方々には大変良く知られた人物なのですが、戦後世代以降にはほとんど知る人がいません。
簡単に補足しておきます。
頼山陽(らいさんよう)
1781〜1832 名は襄(のぼる)
主著『日本外史』は
幕末の尊王攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなった。
幕末から明治にかけてもっとも多く読まれた歴史書。
(外史とは民間による歴史書の意)伊藤博文(倒幕派)、近藤勇(佐幕派)の愛読書であったことでも知られる。
ただし江戸幕府の正当性を主張したとする山陽自身の説明があったにも関わらず、
この部分が世に出る事がなかったために幕末において「誤読」され続け、
山陽の随筆意図と無関係な尊王攘夷や
むしろ対極にある討幕論が生み出された。
また山陽の説明(「例言」第四則)がこの世に出た以降も討幕に否定的な歴史書であることが意図的に無視される。
そして明治以降は天皇制の権威付けに
昭和6年以降〜終戦までは思想統制に利用され、
こうした経緯があり戦後GHQの意向により意図的に知られなくなる。
山陽のことが戦後世代にあまり知られていないのは当然である。
では 日本外史の中でもっとも分かりやすい山陽の描写
『敵は本能寺にあり』これでおわかりですな・・・
店主の書評 『頼山陽と戦争国家』著 見延典子
没後の頼山陽の評価の変遷をまとめ上げた貴重な書。
巻末には貴重な関連資料集あり。
そもそも現代日本人のほとんどは頼山陽のことを知らないであろう。
昭和12〜3年生まれ以前の方々には ほぼ100%知られた存在。
何故なら『日本外史』の「桜井駅の訣別」は
当時の教育現場で読み継がれていた。
戦前の国定教科書である。
と云ったところで余程の昭和史通、又は「太平記」(楠正成だー)って分かる歴史通、
又は戦前世代にしか理解して頂けないのだが…
江戸時代後期の 歴史家、思想家、漢詩人
である頼山陽がまとめ上げた民間による日本の武家の歴史。
『日本外史』は平氏から徳川氏まで、
(この時代までの日本のこれまでの歴史をまとめ上げた 日本の歴史 なる書は一般人が目にすることはまだ無かった。
信長公記、甲陽軍鑑、太平記など各々の記録は沢山あるのだが)
これが『日本外史』で当時の老中首座 松平定信
に高く評価されるのだが、
世の中に知られるようになるのは
山陽の死後の話。
時が経ち、多方からこの「日本外史」が出版され(当時は著作権など無い)
幕末の大ベストセラー
(ある部分が削られた=誤読される)になる。=(尊皇攘夷に影響を与える)吉田松陰
幕末期、佐幕派(例として土佐藩主 山内容堂公、 天璋院篤姫、 新選組局長 近藤勇)にも
討幕派(例として吉田松陰 伊藤博文「日本政記」も)にも愛読される。
明治政府以降天皇の権威付けに利用させていく。
何が? どのように?
本書には山陽が『日本外史』『日本政記』(神武天皇に始まる歴代天皇の事績をまとめ上げた書)をまとめ上げるにあたって
山陽が調べた、熟読した山陽以前の過去の書物、参考にしたであろう多くの書物、
研究者が注目する当時の太平記ネタ本=こちらのほうから世に太平記が知れ渡る など紹介しつつ再確認しながら
その後、明治から大正、昭和と時が経つにつれ、どのように曲解されていったか…
※主に南北朝時代→太平記→日本外史と日本政記→南朝正統論→南北朝正潤問題→楠正成→桜井駅の訣別
(つくられる「忠臣」楠正成像)→湊川神社
山陽漢詩の書換え「七生滅賊」が国益に沿うように「七生報国」
頼山陽先生百年祭昭和6年
紹介しつつ再確認し、
昭和初期の事件、出来事と照らし合わせながら
時の政治によって右傾化する頼山陽をじんわりと浮かび上がらせる。
進む軍国化思想統制→頼山陽の神格化→反論
戦後 消える頼山陽=GHQ
また、序盤の頼山陽をとりまく政治世界
では「日本外史引用書目」(259の参考文献)の中で『大日本史』(水戸光圀が編纂に着手)
と『大日本史賛藪』(水戸黄門の格さんの論賛)についての記実あり、山陽に影響を与えたことが分かる。
また水戸藩が編纂をはじめた『大日本史』は完成するのが二百数十年後の1906年。
安積澹泊(格さん 御老公の御前である 頭が高い 控えおろう)の論賛が削除されたり
=後期水戸学派によってつくられた「大義名分論」
削除を企た理由=いわゆる国体の概念。→大正、昭和天皇も認めていた“天皇機関説”の排除。
[本書に出てくる天皇機関説から本書の外へ時計の針を進めると、終戦を境に復権した(ヨハンセン)吉田茂は“天皇機関説事件”で野に下った金森徳次郎に自らの内閣で憲法問題専門の国務大臣ポストに就いていただき帝国憲法改正案(日本側の案とGHQが示した案を元に新たな憲法改正案を練っていた)を“現実の憲法”=今の日本国憲法
に仕立て上げるためにコンビを組むのである。吉田茂は憲法作りに政治生命を懸けた。(幣原や吉田は日本占領に口を挟むことの出来る極東委員会の中には日本の天皇制に批判的な国々から糾弾を受ける可能性があり、(天皇の戦争責任、天皇制の廃止)天皇を守るには時間との戦いであった。マッカーサーと吉田の気が合ったのも大きい。(例、昭和天皇とマッカーサーの写真)) こうした吉田や金森をはじめ、現在の日本国憲法を練って闘った政治家、関係者(例 白洲次郎)、昭和天皇側近たちの動きを無視して「占領軍の作った憲法、押しつけ憲法」と批判して改正を声高にするのは皮相的で批判する側の見識の無さが見て取れる。吉田が権力の座から降りた後、改正論者(例 鳩山一郎、岸信介)の言に反射的に反発する。(「当時の社会党などが主張する護憲派とは異質の政治姿勢であり、系譜であるように思うのである」作家で昭和史研究の保阪正康氏) ]
話を戻すと、『大日本史』に多くの編者が関わったりしたことで、
原点である徳川光圀(御老公様 先の副将軍 水戸光圀公)
の考えから離れていった。
水戸学は 前期水戸学派 後期水戸学派
と分かれ 系列が異なる。
筆者曰く
水戸学の変質にあわせるように、
山陽も道連れにされた観がある。
初志を貫徹しるため山陽は多くの書物を読み、
人の意見に耳を傾けた。
批判もしたが、なるほどと思うものは貪欲に吸収しようとした。
その上で自分なりの独自の視点を身につけ、思考を深めた。
山陽が書いたものが誰かの踏襲であったり
踏襲と踏襲が掛け合わさったりしているように思えるのも、だから必然である。
山陽や著作をありのままに受け入れて読むところから、
山陽の再評価の道は開けていくであろう。
※旧ソ連によるシベリア抑留と旧日本軍によるシベリア出兵
による犠牲者追悼墓参を長年されてこられました横山周導氏率いる
NPO法人『ロシアとの友好・親善をすすめる会』が
会員の高齢化に伴う会員数減少により継続的な法人としての運営が困難となり
2020年7月、解散された。
非常に残念な思いです。
厚生労働省(ロシア連邦政府等から提供された抑留者関係資料一覧)
https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/itiran/index.html