こんにちは
愛知県は緊急事態宣言解除となりましたが引き続き感染対策をしっかりしていきましょう。また、新型コロナワクチン接種のスムーズな進捗を期待しております。引き続き時間短縮営業と人数制限をしております。
お昼のランチは 御来店がお決まりのお客様は御予約をお願い致します。
人数制限を強化しておりますので席が空いていても入店をお断りする場合がございます。
座席は御予約のお客様を優先いたします。
※尚、新型コロナウイルス感染状況に伴い集客の見込みの無い状況下においては早めに閉店する日時もあります。
ご来店がお決まりの日時がございましたら御予約のほう宜しくお願い致します。
《暫くの間、営業時間は》
ランチ
平日11:30~15:00迄、
土曜、日曜日は11:30~16:00迄
☆夜のディナーは全日要予約と致します。☆
当面の間
17:00~20:45迄
コロナウイルス感染対策の観点から引き続き当面の間
3蜜を防ぐために、
人数制限と時間短縮営業 を併用しながら営業して行きます。
当店は私の側(厨房)お客様側(窓)と両側から換気を行えますのでアクリル板で遮断する他店よりも換気は非常に良いと思います。
アルコールはお客様が容器に触るのではなく、私がお客様の手にスプレー致しますので、
来店の際は着席いたしましたら私が来るまで手を触れずにお待ち下さい。
尚、感染者増による状況の変化により営業時間等、変更する場合がございます。
(事前のご予約には対応いたします。)
メニューは多少限定したメニューとなります。 (食材管理、維持の面から)
☆夜のディナーにつきましては事前に要予約⭐︎
17:00~20:45迄
お休み日以外の日時で受付ております。
当面アルコールはLo20:20迄、20:45 close
同時間帯1組 1グループ4名様迄 (☆例外として5人家族、6人家族はOK☆)
※コロナウイルス収束迄の間は人数制限あり。徐々に緩和。
状況の変化により随時変更があります。
御予約、ご要望等はお電話で承ります。ホームページメールフォームからメールでも結構です。
※(お休み日は電話に出られない時間帯がございます。
必要事項ご記入の上、ホームページメールフォームからメールでお願い致します。)※スマートフォンのお客様はトップページのいちばん最初のところまで戻してから
左上のメニュータブをクリックして下さい。
営業日カレンダー、各種メニュー、御予約メール、Instagram等はタブから出てきます。
『ジョージア(グルジア)コース』新設しました。
※詳しくはメニュータブからコースメニューをクリックしてください。
また、少しずつですがアラカルトのジョージア(グルジア)料理も改良していきます。
家族でのお食事、仲間内でのパーティー、送別会等には
アラカルトメニューにあります 『タバカ』や『米燻嫩鶏』をメニューに取り入れたお任せコースも良いかと思います。
また単品アラカルトとして、条件付きでお持ち帰りも可です。
(例として大皿持参、お車でお越しの事前に御予約を頂きましたお客様)
10月~5月は『ボルシチランチ』を行なっております。
今年はコロナ感染の影響で主材料のビーツの確保が十分にありますので5月のゴールデンウィーク明けまで
ボルシチランチを行う予定です。
秋〜冬のロシアランチ2020(ドラッグされました)
秋〜冬のロシアランチ2020(ドラッグされました) 2
秋〜冬のロシアランチ2020(ドラッグされました) 3
ユーラシア食堂さらび では夕方以降の会食承っております。
旧東海道のひっそりとしたプライベートな空間で
美味しい中国料理、ロシア料理、中央アジアの料理をお楽しみ下さい。
小さな食堂ですが造り手と接することのできるお店です。お一人様から20名様位迄で対応しております。
平日は要予約、週末は一応フリーにも対応しておりますが、事前のご予約が望ましいです。
特殊な場所に位置しておりますので集客の見込みの無い日には早めに閉める事があります。また、小さなお店ですのでせっかくお越し頂いてもご予約のお客様でいっぱいで入店出来ない場合もございます。
ご予約の程よろしくお願い致します。
料理内容等はアラカルトから選んで頂いても結構です。
☆お勧めは お客様のご要望と御予算をお聞きした上で内容を決める
『おまかせコース』プランです。
普段お出ししていない料理は こちらの『おまかせコース』プランからです。
ご要望等お気軽にご相談ください。
ご友人 ご家族でのお食事、ご宴会等、ランチ時間での婦人会等、お待ちしております。
ワイン造り8000年の歴史を持つワイン発祥の地ジョージア(グルジア)
8000年前からの造り方《タンクや樽ではなく、“クヴェヴリ(甕)”》
で造られた自然派の造り手たち、
伝統製法継承者たちの
『ジョージア(グルジア)ナチュラルワイン』
も入荷しています。
【クヴェヴリ は世界文化遺産です】
※新入荷の自然派ジョージアワインがリストに加わりました。
(リストの変更、更新を行いました。)ドリンクメニューからご確認ください。
ジョージア(グルジア)自然派の造り手によるクヴェヴリ醸造ナチュラルワインを
メインに取り揃えておりますが、
昨年から 一部、ジョージアワインメーカー(自然派ではない)工場生産ワインも
白と赤1〜2種ご用意しております。
私のお勧めは“自然派”ですが、
よく知られた地区の名を冠するメーカー生産ワインも少しだけ用意しようと思いました。
白、ツィナンダリ
赤、キンズマラウリ
どちらも飲み易く工場生産ワインですからお手頃価格です。
東京のロシア料理店より断然お値打ちです。
また、この春『南ロシア 黒海沿岸のワイン』も入荷します。こちらはロシアNo1メーカー生産物です。旧ソ連圏ではジョージア(グルジア)を筆頭にすぐ隣のアルメニア、黒海沿岸のウクライナ、南ロシアも古くからのワインの産地です。
詳しくはドリンクメニューでご確認ください。
※一番上まで戻してから左側のタブからドリンクメニューをクリック
お客様のご予算、料理の希望内容等、柔軟に対応させて頂きます。
前日、当日のご予約でご利用いただけるコースもございます。
ご依頼、ご相談は店主までお気軽にどうぞ。
詳しくはコースメニューでご確認ください。
コースメニュー2020〜2021(ドラッグされました)企画展「命のビザ」〜もう一人の外交官 タデウシュ・ロメル展
杉原千畝氏の「命のビザ」で日本に到着したポーランド系ユダヤ難民を支援するため奔走した“もう一人の外交官”に焦点を当てた企画展。「命のビザ」にはじまるユダヤ難民の救済はこのロメル氏の奔走なくしては成し遂げられなかった。
2/18(木)〜5/11(火)迄 人道の港敦賀ムゼウム
https://tsuruga-museum.jp/modules/exhibition/index.php?action=PageView&page_id=5
★そらはく(岐阜各務原航空宇宙博物館)特別企画展★
『★☆ユーリ・ガガーリン物語★★★』
3/20(土)〜5/17(月)迄
http://www.sorahaku.net
『☆旧ソ連圏関連映画』
映画『DAU.ナターシャ』
壮大なスケールで描き出す人間の悪と愛
今年はソヴィエト社会主義共和国連邦cccp 崩壊から30年!
いまや忘れ去られつつある「ソヴィエト連邦」の記憶を呼び起こすために「ソ連全体主義」の社会を完全に再現するという前代未聞のプロジェクト。
撮影は当時のままに再建されたスターリン体制下の秘密研究都市で約2年間キャストたちは実際に生活しカメラは至る所で彼らを撮影、本物のノーベル賞受賞者、元ネオナチリーダー、元KGB職員なども参加。町の中ではソ連時代の通貨が使用され出演者もスタッフも当時の衣装や食事で生活。毎日当時の日付の新聞が届けられるという徹底ぶり。出演者たちは次第に演じる役柄になりきり、演技を越えて実際に愛し合い、憎しみ合ったという。
秘密都市の物理工学研究所に併設された食堂で働くウエイトレス、ナターシャが主人公となる。ナターシャの目を通して観客は逞しく生きる人々と、美しくも猥雑なソ連の秘密研究都市を体感していくことになる。
映画後半、ウエイトレス ナターシャを密告者 でっち上げ 防諜協力者に仕立て上げる様、両者の苦悩はよく描けていたと思う。この映画は観る人によって全く異なる印象を持つでしょう。
第70回ベルリン映画祭においてあまりにも衝撃的なバイオレンスとエロス描写が物議を醸し賛否の嵐となったが異次元レベルの構想と高い芸術性が評価され銀熊賞(芸術貢献賞)を受賞。
2020年ドイツ、ウクライナ、イギリス、ロシア合作/ロシア語
ソ連時代の旧「秘密都市」とは存在すること自体がソ連の国家機密として隠されていた都市のことです。秘密都市は所在地を秘密にするため、地図への記載禁止、飛行禁止区域、住民以外の訪問は制限、ソ連時代の行政文書では郵便私書箱の番号を秘密都市の名称代わりに用いていました。例として(アルザマス16、トムスク7)等、 ※詳しくは「ユーラシアブックレット153 ロシアの旧秘密都市」参照がわかりやすいと思います。
伏見ミリオン座で3/12(金)〜
日露共同制作映画『ハチとパルマの物語』
人が犬を選ぶんじゃない! 犬が人を選ぶんだ!
日露の名犬が少年の孤独な心を救う
物語は1977年旧ソ連時代、実際にモスクワ ヴヌーコヴォ国際空港(現在3つの内で一番古い空港)であった「忠犬パルマ」のエピソードをもとに初のドラマ化した作品です。
ソ連時代には3本ドキュメンタリとなっているようです。
私は一足先に観させて頂きましたが上映中に3回涙を流してしまいました。こんなことは久しぶりです。マスクがベタベタになってしまいました。2重マスクにしていくと良いかとおもいます。
3/23時点でロシアNo1になったそうです。日本は宣伝のお金がロシアの 20分の1 程しか無いそうです。
検疫検査を通過出来ず空港に置き去りにされたシェパードのパルマ。いつの日か飼い主が迎えに来ることを信じて、今日もパルマは滑走路の傍らでじっと待ち続ける・・・
2年もの間モスクワのヴヌーコヴォ国際空港で待ち続け、今も多くの人に語り継がれる感動の実話“パルマの物語”
3/18〜ロシア全土 5/28(金)〜名古屋地区はミッドランドスクエアシネマ
有松絞会館前、ユーラシア食堂さらび店前にございます
『石碑』について。
ユーラシア食堂さらび店前にあります石碑はどのような石碑かご存知でしょうか・・
この石碑は 江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人で
幕末、明治維新から昭和の戦前期まで広く影響を与えた『日本外史』(幕末から明治にかけてもっとも多く読まれた歴史書)などの著者、頼山陽(らい さんよう)が1813年11月、有松 井桁屋に一泊することになった時に見た当時の有松の街、絞り染めのすばらしい衣、桶狭間の古戦場、を 頼山陽の感性によて見事に描かれた『過 有松邨』(詩)であります。さらび店内に詩のリーフあります。
歴史ファン必見!
とは言うものの戦前、戦中世代の方々には大変良く知られた人物なのですが、戦後世代以降にはほとんど知る人がいません。
簡単に補足しておきます。
頼山陽(らいさんよう)
1781〜1832 名は襄(のぼる)
主著『日本外史』は
幕末の尊王攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなった。
幕末から明治にかけてもっとも多く読まれた歴史書。
(外史とは民間による歴史書の意)伊藤博文(倒幕派)、近藤勇(佐幕派)の愛読書であったことでも知られる。
ただし江戸幕府の正当性を主張したとする山陽自身の説明があったにも関わらず、
この部分が世に出る事がなかったために幕末において「誤読」され続け、
山陽の随筆意図と無関係な尊王攘夷や
むしろ対極にある討幕論が生み出された。
また山陽の説明(「例言」第四則)がこの世に出た以降も討幕に否定的な歴史書であることが意図的に無視される。
そして明治以降は天皇制の権威付けに
昭和6年以降〜終戦までは思想統制に利用され、
こうした経緯があり戦後GHQの意向により意図的に知られなくなる。
山陽のことが戦後世代にあまり知られていないのは当然である。
では 日本外史の中でもっとも分かりやすい山陽の描写
『敵は本能寺にあり』これでおわかりですな・・・
店主の書評 『頼山陽と戦争国家』著 見延典子
没後の頼山陽の評価の変遷をまとめ上げた貴重な書。
巻末には貴重な関連資料集あり。
そもそも現代日本人のほとんどは頼山陽のことを知らないであろう。
昭和12〜3年生まれ以前の方々には ほぼ100%知られた存在。
何故なら『日本外史』の「桜井駅の訣別」は
当時の教育現場で読み継がれていた。
戦前の国定教科書である。
と云ったところで余程の昭和史通、又は「太平記」(楠正成だー)って分かる歴史通、
又は戦前世代にしか理解して頂けないのだが…
江戸時代後期の 歴史家、思想家、漢詩人
である頼山陽がまとめ上げた民間による日本の武家の歴史。
『日本外史』は平氏から徳川氏まで、
(この時代までの日本のこれまでの歴史をまとめ上げた 日本の歴史 なる書は一般人が目にすることはまだ無かった。
信長公記、甲陽軍鑑、太平記など各々の記録は沢山あるのだが)
これが『日本外史』で当時の老中首座 松平定信
に高く評価されるのだが、
世の中に知られるようになるのは
山陽の死後の話。
時が経ち、多方からこの「日本外史」が出版され(当時は著作権など無い)
幕末の大ベストセラー
(ある部分が削られた=誤読される)になる。=(尊皇攘夷に影響を与える)吉田松陰
幕末期、佐幕派(例として土佐藩主 山内容堂公、 天璋院篤姫、 新選組局長 近藤勇)にも
討幕派(例として吉田松陰 伊藤博文「日本政記」も)にも愛読される。
明治政府以降天皇の権威付けに利用させていく。
何が? どのように?
本書には山陽が『日本外史』『日本政記』(神武天皇に始まる歴代天皇の事績をまとめ上げた書)をまとめ上げるにあたって
山陽が調べた、熟読した山陽以前の過去の書物、参考にしたであろう多くの書物、
研究者が注目する当時の太平記ネタ本=こちらのほうから世に太平記が知れ渡る など紹介しつつ再確認しながら
その後、明治から大正、昭和と時が経つにつれ、どのように曲解されていったか…
※主に南北朝時代→太平記→日本外史と日本政記→南朝正統論→南北朝正潤問題→楠正成→桜井駅の訣別
(つくられる「忠臣」楠正成像)→湊川神社
山陽漢詩の書換え「七生滅賊」が国益に沿うように「七生報国」
頼山陽先生百年祭昭和6年
紹介しつつ再確認し、
昭和初期の事件、出来事と照らし合わせながら
時の政治によって右傾化する頼山陽をじんわりと浮かび上がらせる。
進む軍国化思想統制→頼山陽の神格化→反論
戦後 消える頼山陽=GHQ
また、序盤の頼山陽をとりまく政治世界
では「日本外史引用書目」(259の参考文献)の中で『大日本史』(水戸光圀が編纂に着手)
と『大日本史賛藪』(水戸黄門の格さんの論賛)についての記実あり、山陽に影響を与えたことが分かる。
また水戸藩が編纂をはじめた『大日本史』は完成するのが二百数十年後の1906年。
安積澹泊(格さん 御老公の御前である 頭が高い 控えおろう)の論賛が削除されたり
=後期水戸学派によってつくられた「大義名分論」
削除を企た理由=いわゆる国体の概念。→大正、昭和天皇も認めていた“天皇機関説”の排除。
[本書に出てくる天皇機関説から本書の外へ時計の針を進めると、終戦を境に復権した(ヨハンセン)吉田茂は“天皇機関説事件”で野に下った金森徳次郎に自らの内閣で憲法問題専門の国務大臣ポストに就いていただき帝国憲法改正案(日本側の案とGHQが示した案を元に新たな憲法改正案を練っていた)を“現実の憲法”=今の日本国憲法
に仕立て上げるためにコンビを組むのである。吉田茂は憲法作りに政治生命を懸けた。(幣原や吉田は日本占領に口を挟むことの出来る極東委員会の中には日本の天皇制に批判的な国々から糾弾を受ける可能性があり、(天皇の戦争責任、天皇制の廃止)天皇を守るには時間との戦いであった。マッカーサーと吉田の気が合ったのも大きい。(例、昭和天皇とマッカーサーの写真)) こうした吉田や金森をはじめ、現在の日本国憲法を練って闘った政治家、関係者(例 白洲次郎)、昭和天皇側近たちの動きを無視して「占領軍の作った憲法、押しつけ憲法」と批判して改正を声高にするのは皮相的で批判する側の見識の無さが見て取れる。吉田が権力の座から降りた後、改正論者(例 鳩山一郎、岸信介)の言に反射的に反発する。(「当時の社会党などが主張する護憲派とは異質の政治姿勢であり、系譜であるように思うのである」作家で昭和史研究の保阪正康氏) ]
話を戻すと、『大日本史』に多くの編者が関わったりしたことで、
原点である徳川光圀(御老公様 先の副将軍 水戸光圀公)
の考えから離れていった。
水戸学は 前期水戸学派 後期水戸学派
と分かれ 系列が異なる。
筆者曰く
水戸学の変質にあわせるように、
山陽も道連れにされた観がある。
初志を貫徹しるため山陽は多くの書物を読み、
人の意見に耳を傾けた。
批判もしたが、なるほどと思うものは貪欲に吸収しようとした。
その上で自分なりの独自の視点を身につけ、思考を深めた。
山陽が書いたものが誰かの踏襲であったり
踏襲と踏襲が掛け合わさったりしているように思えるのも、だから必然である。
山陽や著作をありのままに受け入れて読むところから、
山陽の再評価の道は開けていくであろう。
※旧ソ連によるシベリア抑留と旧日本軍によるシベリア出兵
による犠牲者追悼墓参を長年されてこられました横山周導氏率いる
NPO法人『ロシアとの友好・親善をすすめる会』が
会員の高齢化に伴う会員数減少により継続的な法人としての運営が困難となり
2020年7月、解散された。
非常に残念な思いです。
厚生労働省(ロシア連邦政府等から提供された抑留者関係資料一覧)
https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/itiran/index.html